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動物化についてのメモ

カテゴリー[思想]

先日行われた北田暁大氏の講演会のレジュメ、およびメモを某所から入手。それだけで判断するのは軽率だが、どうやら僕の動物化論が話題になったのは間違いないようだ。光栄である。というか、ぜひ聴きに行きたかった。

ところで、動物化という言葉は、「最近若者がバカになってる」とかいったありがちのイメージ論ではなく、僕としては、いちおう、僕なりの(この「僕なり」にたいへんな問題がある、というのは横におくとして)解釈に基づく思想的な文脈を押さえて提出している。『動物化するポストモダン』ではアレクサンドル・コジェーヴ、「情報自由論」ではハンナ・アレントがその主な参照項だが、それだけではない。実はもうひとつ、僕にとってきわめて印象深い動物論として、ジャック・デリダのハイデガー批判(『精神について』収録)というのがあるのだ。そのむかし僕は、「想像界と動物的通路」というタイトルで学術論文を東京大学出版会の論文集に寄せたことがあり(なんか遠いなあ……)、実は僕が「動物」という言葉を哲学的に使い始めたのはそれが始めてなのだった。『存在論的……』にはまだ「動物」は出てこないはず。「情報自由論」に続く匿名性やネットワークからの切断の問題は、「誤配」という言葉で繰り返し出てくるのだけど。

コジェーヴの「動物」は、近代=人間の時代の終焉後の消費社会に生きる人々を形容する言葉。アレントの「動物」も、また、actionやworkから阻害され、労働=消費の流通回路のなかに幽閉された人々を指している。ではデリダの「動物」と、コジェーヴやアレントの動物とのあいだにどんな関係があるのか?

これはちょっと長くなりそうなので、それこそ波状言論の連載でときどき語ってみようかなどとも思うのだが、ひとことだけ言っておけば、そこでデリダは、現存在=人間の哲学は、精緻になればなるほど、動物の観念を疎外していく、つまりは、動物の観念は否定神学の外部にある、と述べていたのである。人間はハイデガーやラカンにつねに魅了されるが、動物は魅了されない。ポストモダンの消費社会は、そういう点でも動物的なのだ。そして、それは、バカになっている、というのとは少し違う。

Posted by: hazuma : 2003年12月03日 06:01 | TrackBacks

コメント


 消費社会はデリダー東さん的な意味で動物的、であり、東さんの「動物化するポストモダン」でいうところの「データベース的動物」である現代人は、巨大なデータベースに駆動されている。消費社会ってそういうこと。でしょうね。 Mido.

Posted by: mido : 2003年12月03日 08:23

 現代における自らの存在の定義の困難に

 社会学者    哲学者 批評家

 ボードリヤールー東さんでいえば、「シミュラークル」は表層で、データベース構造をしている。ここで、確率からの自由、という意味で、確率からの逃避。確率からの自立、データベースからの自由、といった確率からの自由の奇跡が望まれるに違いない。確率からの自立責任がある。逃避統計的な確率への確率的自立性が、遠くで投げ出され、表層と深層を浸しょくしなければならないのだ。

 確率から自存する、とは確率に対して確率し、自らの存在を定義自立させていく、表層のシミュラークルと、深層のデータベースに対する自立である。それは自存する、と言われる。再び主体性が回帰する奇跡は「新人間」である。自らの存在を自立的に定着出来るだろうか?

 回帰する主体性を、超主体性と呼ぼう。超出した、シミュラークル・データベースを超出した回帰した超主体性は、あらゆる深層のデータベース、そして表層のシミュラークルを従える、「データベースの従属」「シミュラークルの帰属」を確率への確率から、自立存在する。超主体性とはこの謂いである。没個性は自存の確立、存在の定義の確立から、新たな回帰された主体性、しかしながら、ただの主体性とは違う、各個人の自立性が得られるのである。それはこれからに見られるに違いない。没個性の時代は行き先を変えた新しい時代の土台である。それをデータベース型、と見るのは、必然である。

 超主体性の確立。

 新しい人間。超出された文明人。

 僕は神を信ずる。

 神様を。超文明とは、その到達度だ。没個性の隣人は超出された文明によって滅ぶ。真に等しく愛を抱けぬならば、真に文名とは言えない。

 真の文明、超文明の到達度は神と出会わなければならない。文明とは祭祀のことである。

 存在の神学。それはどれ一つとして欠けてはいけない真実である。

 神学の主体。超主体性になる。

 神はいる。神は全てを見ていて、解決してくださるだろう。神様。

 

Posted by: mido : 2003年12月03日 11:33

ジュディス・バトラーの論理を援用すれば、社会的に人間らしくなくても、生物的に人間である、ということは可能だと思う。人間らしくない人間、動物的な人間、サイボーグ的な人間・・・というように。だからそれを考慮に入れれば、動物化しているといっても、それが単に知的な退化を指すのではないという東先生の注意はすんなり了解できます。アーレントやハイデガーはまさに人間らしさの条件について論じてきたのであり、それは端的に言って「女らしさというのは云々」と同レベルの話でしかないと思う。憶測の域を出ませんが、デリダはフェミニズムが「女らしさ」に対して行った攻撃を「人間らしさ」に対して行ったのではないでしょうか・・・ないですね。長くなってごめんなさい。ちょっとした思いつきでした。それでは。

Posted by: hanako : 2003年12月04日 20:54


あと、超越論的複数性は、メタ・ユートピア=情報論となり、「動物化するポストモダン」は状況説明的で、
次の情報論が、東さんの歴史的過程としては結論部分の形跡となるのではないか?と思いました。

 超越論的複数性ってデータベースで大丈夫でしょうか?そこな辺の結論だと思うんですがどうなんでしょう?観測気球をあげてみました。笑。mido. 

Posted by: mido : 2003年12月06日 10:07


情報論頑張って〜。mido.東さーん。

Posted by: mido : 2003年12月06日 10:28

midoさんの発言をひとつ削除しました。ところがそれ以降もコメントが連続で投稿されています。

投稿→削除を繰り返すのは不毛ですので、ここで注意させていただきますが、連続投稿はできるだけ避けてください。また、周囲の文脈と調和する発言をなさるようにしてください。よろしくお願いいたします。

この投稿への返信は必要ありません。

Posted by: 東浩紀 : 2003年12月06日 11:14

はじめまして。動物化論は色々批判されますが
東先生のデータベースモデルより優れたものが
提出されたところは一度も見ていないですね。
だから自分も動物化論を否認しつつ萌えています。

デリダとコジェーヴの動物の違いは誤配の有無だと思うんです。
他者っぽい鏡像やガタピシした象徴界は誤配が産むんでしょう。
データベースは構造と違って誤配の回収装置ですからもちろん
統計的にショボく回収されますけど。でも本物の動物は誤配しない。
「超」平面的な想像界がアリなら「誤配」動物もアリでしょう。
そして環境自体が他者みたいになってしまう…どうもお邪魔しました。

Posted by: しろうと : 2003年12月06日 21:42

動物とバカは「少し違う」と、動物とバカとの差異を説くのではなく、
バカになる=動物化として、バカになっているとはどういうことかと、
「バカ」を再定義するという路線もありなのでは?

Posted by: バカ : 2003年12月07日 22:33

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