hirokiazuma.comのblogへようこそ

[hirokiazuma.com] [波状言論::はてな出張所] [波状言論] [経歴と著作]

hirokiazuma.com/blog の全文検索



メインサイトの検索はトップページから行ってください

監視技術の道徳主義的利用

カテゴリー[情報社会]

こんにちは。東です。

季節はずれの風邪で悩まされていましたが、徐々に復活しつつあります。僕は父親が40代で花粉症を発症したので、この時期に風邪をひくといつも「俺もとうとう花粉症発症か?」とドキッとします。春先は花粉症のひとは本当に大変ですよね。。。

さて、去る土曜日、鼻水をすすりながら環八をくだっていると、瀬田公園の隣、東名東京インター付近でイヤな看板を見つけました。運転しながら見ただけなので正確に文面を覚えていませんが、「空き缶のポイ捨てはやめてください。いますぐやめないと近日中に監視カメラを設置します。」という文面のもので、設置者は何か公式の行政機関っぽい名前でした。もしだれか近所のかたがいましたら、画像をアップしてくれると嬉しいです。中央分離帯にいくつも設置されています。

では、この文面の何が問題なのでしょうか。それは、この脅迫的な文章が、いまの監視技術への期待の本質を図らずも露呈しているからです。

僕は「情報自由論」で、社会秩序を守るには二つの方法があると書きました。ひとつは道徳や法で、もうひとつは技術的な身体管理です。現代では、道徳や法の力(別の言い方をすれば、教育の力)がどんどん衰えているので、人々は技術に頼らざるをえなくなっています。近代社会は「規律訓練」で治安を守った。しかし、ポストモダン社会は規律訓練がうまく機能しないので、「環境管理」型の技術で治安を守るしかないのです。僕はその深刻さは理解しているし、プライバシー団体が何を言おうと、この流れが変わりそうもないこともよく分かっています。だからこそ、僕たちは、逆に情報=セキュリティ社会(顕名社会)の個人の自由(匿名性)について、原理的なところから考え直す必要があるわけです。

ところが、「情報自由論」の連載が終わって半年以上経ち、そのあいだの報道などを見ていると、日本の事態はどうもそれとは異なったレベルで動いているような気がします。僕の議論の出発点は、さきほども言ったように、「道徳か技術か」という二項対立にありました。道徳で社会秩序が保てるならそれでいい。しかし、ヒトとモノの流動性が飛躍的に高まり、グローバル化と情報化とポストモダン化のせいで道徳の力が限定されてしまった現代社会では、もはや道徳の力は頼れない。だからこそ、監視カメラやバイオメトリクスやRFIDに頼ろう、という話だと理解していたわけです。

しかし実際にはどうか。最近の日本でむしろ目立ってきているのは、「監視技術の道徳主義的利用」とでも言うべき最悪のパターンではないでしょうか。冒頭に挙げた環八の看板がいい例ですが、それ以外にもさまざまな話を聞きます。マンションの監視カメラは、多くの場所で、防犯対策だけではなく、ゴミ出しの監視に使われ始めている。小学校の監視カメラは、不審者の侵入防止のため校門に設置されるではなく、イジメ防止のため体育館裏など校内の死角にも設置されようとしていると聞きます。そもそも日本では、監視カメラの整備が地方の商店街で急速に進んでいます。犯罪率がそれほど高くない地域でも、盛り場を24時間監視するシステムが作られつつある。その背後にあるのは、国際テロに対する危機感でもなければ、凶悪犯罪に対する深刻な不安でもなく、もっと単純に、少年少女の「非行」を抑え込み、共同体からホームレスや外国人を追い出そうとする古くからある素朴で陰湿なムラ社会の精神のように思えてなりません。

僕はこの点は、たいへん懸念しています。よく言われるように、日本社会は、そもそもが閉鎖的な社会です。僕たちはそのことを十分に自覚しておいたほうがいい。そして、そういう拭いがたい閉鎖性とムラ根性にハイテクの監視技術が結びついたときに、何が起きるか。それは、おそらく、ヨーロッパやアメリカとはまた別種の悪夢的な社会になるはずです。

というわけで、「情報社会論」連載時には明確ではなかったのですが、いまでは、監視社会についての議論は二つに分けたほうがいいような気がしています。

道徳か技術か。この二項対立が成立する局面においては、僕は、技術で治安を守ることは不可避だと考えます。しかし、技術で道徳を再強化することには、まったく賛成できません。

テロが起きそうならば、あるいは殺人や強姦の危険性が無視できないほど高いのであれば、監視カメラは備え付けるべきです。僕は、そんなところで、プライバシーの侵害云々と騒ぐひとは愚かだと思います。しかし、「ゴミ出しのマナーを守らないやつがいる」「空き缶を捨てるやつがいる」「夜中に騒ぐやつがいる」といった日常的な不満不平を解消するため、公共の施設や道路につぎつぎとカメラを設置していったら、これはもう切りがありません。そもそもコストがかかりすぎです。マナーの問題は、どれだけそれが不毛だったとしても、話し合いで解決すべきで、安易に監視技術に頼るべきではありません。

Posted by: hazuma : 2004年03月29日 15:33 | TrackBacks

コメント

はじめましてこんにちは。私は先日池袋のサンシャイン通りで監視カメラ設置のセレモニー(?)が行われていたのを目撃いたしました。ハンズの前には今も横断幕のようなものがそのことを存分に祝っております。醜悪だなと感じました。私個人は。

Posted by: wai : 2004年03月29日 20:44

監視テクノロジーといっても
そこらで手に入るカメラで誰でも
作れるような時代だし、
映像もネットで流せる。
だからあえて行政が治安や道徳強化のために
カメラを持ち出してこなくても
ある意味では僕らはすでに監視されている。
ケータイも動画が撮影できるので
個人が歩く監視カメラ化している。
そういう監視テクノロジーの個人利用者に対しては批判なんて
機能しない。
非難されようとされまいと
ストーキングのためにカメラが使われたりする。

Posted by: Kow : 2004年03月30日 10:56

むしろ、個人が歩く監視カメラ化しているにもかかわらずリンチが起こっていることがヤバい。
常に誰かが監視している状況でさえ
犯罪抑止に役立っていない。
街角で誰かが殴られていても
他人事なので巻き込まれまいと、知らん顔で通り過ぎていく。
監視テクノロジーは人々を見かけだけ道徳的で
安全無害にふるまわせるが、
それでも見えないところで爆発するかもしれない心の中の悪魔はそのままだ。
だからといって道徳教育を持ち出しても
無駄なのは明らかだとすると、
道徳も監視も役に立たないようなエゴイストだらけの社会で
どうやって治安や道徳が守られ得るのか想像しただけで恐ろしい。

Posted by: Kow : 2004年03月30日 11:41

監視技術と道徳の問題とは2項対立するものでしょうか?
例えば、現在国会審議がテレビで放映されております。
居眠りしている議員が時々映ります
審議中に居眠りするか、どうか、は議員倫理の問題です。
ある意味では国民の監視に晒されている次第です。
東先生はこのような国民側からの監視技術については
どうお考えでしょうか?

Posted by: Jab : 2004年03月30日 20:49

いろいろコメントありがとうございます。

>Jabさん

監視、という言葉をどのように使うかはひとによりますが、国会の中継は「監視」にはあたらないのではないかと思います。

Posted by: 東浩紀 : 2004年03月30日 23:15

監視カメラという、ユビキタスにするには若干コストのかかるものだからこそ「道徳主義的利用」に到達するまで時間がかかったのではないでしょうか。

たとえば、Webの閲覧を制限する、いわゆるフィルタリングソフトは個人の閲覧行動をいかに効率的に監視していくかという観点で機能競争が行われ、学校教員が実に無邪気にその機能の生徒指導への利用を「情報倫理」の名のもとに行っていたりするという事例はいくらでもみることができるように思います。まぁ、これは家庭内とか組織内の話であり、リトルブラザーとしても限定的ではあるのですが、しかし、監視のデュープロセスや説明責任を問わない底抜け容認状況を前提として、フィルタリングソフトの普及は"e-Japan"的国策としてすすめられているので、問題は単に「社会」問題だけに帰することもできないと思います。

さらにその先に安心・安全インターネット推進協議会
http://www.scat.or.jp/stnf/index.html
のような、
運営サイドにとっては全てが顕名になるようなネットワークでインターネットを置き換え全面化するような構想が控えている、ということになるでしょうか。

Posted by: 崎山伸夫 : 2004年03月31日 02:12

「道徳」か「技術」かという話は結局コミュニケーションの問題に行き着くのでしょう。とはいえお互いの「了解」のもとにコミュニケーションできるかどうかがすでにあやしいという「認識」が共有されて久しい現在、それらを「着地」させる手段を見つけるのは困難だとする「認識」も共通になります。原理的には「自明」のこの「難関」から抜け出す「手段」はあるのでしょうか。「学問の力」に期待したいと思いますが、それは「宗教的」なものにならざるを得ないのでしょうか。「不安」は「異質なもの」を「異質」として排除する傾向を強め、それは喜ばしいことではないのですが、こうした動きに対抗する手段として、何が有効なのでしょうか。

Posted by: pxcre2 : 2004年03月31日 07:00

東先生 こんにちは
>監視、という言葉をどのように使うかはひとによりますが、
>国会の中継は「監視」にはあたらないのではないかと思います。
では、監視カメラに絞って話を進めます。
以前、友人が本屋のトイレで座ったとたん、目の前に
「万引防止のため監視カメラを設置しております。」
って貼紙が眼に入り、慌てて辺りを見回したなんて
ことを聞きました。(-_-;)
設置場所がトイレの入り口でホッした。とか…(^_^;)
どうも本を万引きした後、トイレで偽装工作?を行うケースが
多いようです。万引で本屋が潰れる時代ですからねぇ。
本屋も必死の自衛策なんでしょう。
万引は道徳に反すると言うより犯罪そのものですから、この
ケースは治安維持と看做して問題無いのでしょうか?
(結構ドッキリするらしいので、かなり効果はあると
思われますが…)

Posted by: Jab : 2004年03月31日 16:24

サミュエル・ジョンソンの
「社会が腐敗すればするほど、
より多くの法律ができてゆく」
という言葉を彷彿とさせる状況ですね。
価値が完全に外在的になってゆくのを
感じます。道徳的価値が外在化される
(高度監視社会)は内面の自由をも
失わせる訳でして…。
(高度な監視網が道徳を
外在化して行動を束縛する。
例えばゴミのポイ捨てを、内在的に
行なわないのではなく、
外在的(監視されている)から行なわない等)

これはたいへん由々しき事態だと
思いますね。
>技術で道徳を再強化すること
に、東先生と同じく、私も反対です。
監視された安全な社会より、
監視されていない相対的に危険な社会の
方が、人間にとって過しよい社会だと
思います。

Posted by: kagami : 2004年03月31日 20:25

>Jabさん

トイレの個室にそんな張り紙が。。。。
銭湯の脱衣場にカメラ設置という話が先日話題になったばかりですが、実際、個室につく可能性もなきにしもあらずですね。

ところで、かりにトイレの個室などにも防犯カメラがついた場合、プライバシー云々の原理原則以前に、その撮影画像をどこがどうやって管理しているかが現実的な問題になるはずです。「防犯のため」とはいえ、トイレで用をたしている画像や着替えの画像を撮影するわけだから、管理には細心の注意を払わなければならないはず。しかし、それはそれで、けっこうコストがかかる話だと思うんですよ。個人情報漏洩には敏感な世の中ですし、そういう画像が流出したときの信用低下や補償問題のほうが、多少の万引防止で得られるメリットよりもよほど深刻ではないでしょうか。そういうコスト計算がないまま、とにかくカメラつければマナーもよくなるだろう、という風に走ってしまうのが、「道徳主義的利用」のマズいところだと思うわけです。そもそも「道徳的」な発想がヤバいのは、コスト度外視になりがちだからです。

完全に個人的な印象論として言わせてもらいますと、盗まれる可能性があるものが数億円のダイヤとか何とかいうのならトイレのカメラも仕方ないかもしれないけど、銭湯の脱衣場にカメラをつけて、多少万引やトラブルが減ったところで、撮影画像の管理コストを考えると、結局やめたほうがいいような気がしますね。データの裏打ちはありませんが。

Posted by: 東浩紀 : 2004年03月31日 22:01

追記。

これは、マナーと軽犯罪と凶悪犯罪を分けたほうがいいような気がしますね。

僕の立場としては、
マナー維持のためにカメラ設置→×
凶悪犯罪のためにカメラ設置→仕方ないか、
という感じなのですが、問題は軽犯罪。破れ窓理論では軽犯罪の厳格な取り締まりが凶悪犯罪も減らすということになっているので、ここが微妙ですね。軽犯罪防止のための監視カメラ・ネットワークって、それこそビッグブラザーの悪夢そのもの。しかも、軽犯罪とマナーの問題はけっこう連続してますからね〜。

Posted by: 東浩紀 : 2004年03月31日 22:11

確かにマナーの問題は話し合いで解決
したいし、そうすべきだと思う。
でも流動性が高まった社会では
一人ひとりを信用して、いちいちコミュニケーション
することにもある種の精神的なコストがかかりすぎる。
道徳などを外在化して
他人を信用しなくてもうまく社会がまわる
仕組みをくみたてていくことは
多様な考え方をする人々とともに生きていくような
社会では重要なことのようにも思える。
しかしそういう合理性が誰かをいじめるための
ムラ社会精神とむすびつくことが
脅威なのはそのとおり。
しかし仲間はずれをみつけていじめるために
利用されないよう気をつけながらも、
やはり道徳維持のためにもカメラを利用しなきゃ
ならない時代がいつかはくるんじゃないかと
いう予感はします。
誰もが誰もを無条件に信用できる時代じゃないのは
もう誰もが感じてるじゃないかな。

Posted by: Kow : 2004年04月01日 16:18

東先生 こんにちは

1.道徳的退廃ー>軽犯罪の増加ー>防止用監視装置の設置
この順番で事象は発生している次第です。逆ではありません。
2.また監視装置そのものは技術ですからその是非は見る者、
見られる者、その目的によって判断されるべきものです。

これらを前提として東先生は監視装置を「手段」として
道徳的退廃を食い止めようとする「脅迫的な警告」に
異議申し立てをされておられる訳です。
軽犯罪を犯さない限り、または犯す可能性の無い限り、
日本的な閉鎖社会論や異分子排除論とは直接的には
結びつきませんよね?
そこで東先生に現象学的?に質問です。
本屋のトイレの便座に、もし先生が座られたとき
目の前に:
A.「万引防止のため監視カメラを設置しております。」
の貼紙はケシカランが
B.「トイレ内において万引本を隠蔽工作しないで
  下さい。」
の貼紙であれば、不道徳防止であり問題は無いのでしょうか?
この貼紙の違いは被写体可能性と被疑者可能性の差です。
やはりBでも不快感は残りますでしょう?
さらに先生が万引可能者の立場にあったと想定して見てください。
軽犯罪防止効力はA>Bですよね?
すると本屋経営者は監視カメラを設置し、貼紙をすることで
軽犯罪を未然に防いでいることになりませんか?
設置コスト<万引き被害 であれば経営者として当然の処置
ではないでしょうか?
少なくとも「トイレ内において万引本を隠蔽工作しないで下さい。」
というコストもかけずに貼紙だけで全てのトイレ使用者を可能的被疑者
にするよりは、まだ、ましだと愚考する次第であります。
それとも本屋は万引に対してなんらの有効な対抗策を打ってはいけない。
話し合いと教育が功を奏して万引犯が居なくなるまで待て、とでも
仰るつもりでしょうか?
そもそも内在的な道徳律を確固として保持されておられる東先生の
ようなお方にとって、こんな貼紙がどう書かれておろうが何の心的影響が
ありましょう?ちょっとした不快事に過ぎません。
外的規範に頼らないと道徳律を維持できない連中にはその維持に
役立ち、万引可能者にはその牽制になるだけです。

Posted by: Jab : 2004年04月01日 21:29

>Jab

まあトイレに監視カメラというのは
気味が悪いので、
普通は万引き防止用タグに反応するセンサー
をトイレのドアの前にも置いておくだろうと思う。
なのにわざわざカメラ設置
されたんじゃ
トイレで長ウンチもできやしない。

Posted by: Kow : 2004年04月01日 22:30

むむむ?
>Jabさん

僕は、犯罪抑止のための張り紙をすべて拒否しているわけではありません。というわけで、Bは別に構いません。
しかし、犯罪抑止効果のみを追究していったら、プライバシーなんてまったくないほうがいいわけで、もともと、プライバシーの権利とか言論の自由とかいった観念は、犯罪抑止効果が多少低まったとしても守るべきものだと考えられていたのだと思います。少なくとも僕はそう理解していました。

Posted by: 東浩紀 : 2004年04月02日 00:51

監視カメラの設置目的は道徳強化であったり
犯罪防止など多々ございますが、この道徳強化につきましたはいまだに道徳(近代的)なものを求め続けているのが問題なのではないでしょうか。
道徳の崩壊>技術の導入。こんな安易な考えかたに東先生は危機感をかんじているのではないでしょうか。
またプライバシーを問題にしている人たちはこのカメラの使い方が二次利用(個人的使用)に懸念を抱いてるものだとおもっております。
根本的になればそのカメラの設置しようとしている人の間違った技術の使い方、その技術の誤解がこの問題をまねいてるのではないでしょうか。
これからは監視カメラが街じゅうにあることになってくるでしょう。そこで人がカメラのある世界になれてきたらカメラも意味をなさないでしょうか。実際自分はコンビニのカメラを意識していません(現在は)

Posted by: いいだ : 2004年04月02日 14:18

東先生 こんにちは

はじめに申し上げておきますが、以下の私の反証的な文章は
決して東先生に反論するために反論している訳ではありません。
あくまで先生の論点に出来るだけ沿いながら疑問点を明らかに
することにより、このBlogにおける議論をより細密に、より
深かめて行こうする共同検証作業に参画したいとの真摯な姿勢の
一環であることをご理解下さい。

まずは一点目です。トイレの入り口に防犯カメラを設置し
A.「万引防止のため監視カメラを設置しております。」
の貼紙と、単に何も無しで
B.「トイレ内において万引本を隠蔽工作しないで
  下さい。」
の貼紙があります。
それと先生が最初に例として挙げられた
C.「空き缶のポイ捨てはやめてください。いますぐやめないと近日中に
監視カメラを設置します。」
の看板がありました。
先生はA.Cは問題だが、B.については「別に構わない」と仰る?
すると先生は監視カメラを設置してあろうが、なかろうが
監視カメラの文言に単に反応しておられるように、見えますが?
一般的に内在的な道徳律を重視する先生方は、A.B.Cとも外在的
道徳強制文章と看做して不快感を表明され、単にその脅迫強度が
A>C>Bの順番であるとの認識が多いようです。
東先生の監視カメラ=言葉に固執される理由をお聞かせ下さい。

二点目です。たプライバシーの権利と言論の自由は、ご承知の通り
現在対置して議論が盛んに行われております。
それを並置した上に犯罪抑止効果を対置しておられる理由も
お聞きしたいのですが?
つまり今回わざわざ「言論の自由」と先生が仰っておられるのは、
貼紙とか看板の文章表現の自由を指しておられるのでしょうか?

Posted by: Jab : 2004年04月02日 15:12

>Kow様
小生が申し上げた本屋のトイレにおける監視カメラの設置場所は
トイレの個室内ではなく、入り口で未会計の書籍を持ち込む
者を監視するものです。長ウンチがご心配であれば、最近
小便器上部に設置してある赤外線センサーで感応する自動洗浄
方式はどうお感じでしょうか?
掃除のオバサンに早くしろ!ってせかされているように
お感じでしょうか?
かなり「モダン!」な設備ですから…新潟の「辺鄙な!」ところまで
普及しているか、どうかは?…「大都市!」圏では最近殆どこの方式に
なっております。(*^^)v

Posted by: Jab : 2004年04月02日 20:57

ユビキタスについては、坂村さんに東先生が何かアドバイスをして頂きたいです。僕は頭が悪いので、具体的に何か言う事はできませんが、一応東先生や斎藤先生の本は難しい物を除いては読んでいます。友達に宮台くらいは読んどけと言っているのですが、
「誰それ?」という反応しか返ってこないのが現状です。「あえてベタに」がベタにすら見えないようです。どうすればこの状態をなんとかできるのでしょう?

Posted by: hatati : 2004年04月02日 21:15

私は自由で危険な社会の方が
不自由で(監視されていて)安全な社会
よりずっと良いと思うので、安全性と
自由の両立という矛盾した努力をするより、
自由で危険な社会をアグレッシブに
求めてゆく努力が必要ではないかと
思うのですが…。

戦場的な危険な社会の方が人生が
スリリングでいつ死ぬか分からない、
それこそ『吉野屋コピペ』みたいな
感じで、安全で規則正しい社会より
楽しくて面白いですよ!!

「自由社会ってのはな、
もっと殺伐としてるべきなんだよ。
牛丼屋のテーブルの向かいに座った奴
といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、
そんな雰囲気がいいんじゃねーか。」

みたいな感じで。その方が規則が
がっちりした社会より危険だけど、
今が大切で、風通しが良くて、過しやすいですよ。

Posted by: kagami : 2004年04月02日 21:17

>Jab

東さんが言ってるのは
軽犯罪まではしかたないけど
道徳維持に監視カメラを使うのはナシにしろよ
ってことでしょう。

一つは単なる嫌われ者を排除するアーキテクチャになる恐れ。
もう一つはカメラまわりでプライバシー保護を維持するコスト。

この二つとつりあいが取れないような
しょーもない道徳維持程度なら
神経質なプライバシー保護をおこなわなきゃならない
監視カメラはコストに見合わないし、
軽犯罪にもみあわない。
そんなどうでもいいことに監視カメラを
用意に使えると思うのは画像管理を甘くみすぎてるので結局
失敗し、なおかつ単なる盗撮画像の流出ばかり起こってしまうんじゃないの、と。

一方そういうコストを代償にしてでも
守らなきゃならないようなゴージャスなジュエリー
の盗難防止とかならしかたないかもな、と。

-------
Jab氏へ

ちなみに僕は新潟の「辺鄙な!」ところには
すんでおりませんので悪しからず。
北陸地方には住んでいますが……

Posted by: Kow : 2004年04月03日 00:01

>kagamiさん
(ちょっとこれを書くのは恐縮ですが)
凹村戦争(これは面白かった!)や
ぢるぢる旅行記を想起したのですが、実際そうなったら
正直僕は嫌です。(人それぞれですが)
アメリカへすらも治安が悪いので行きたくないです。
日本は割と平和なので、痛みを知っている若者、例えば
ひきこもりの子には少し期待しています(因みに僕も
サポート校に通っています)。戦争を体験していない
訳ですから、「命」が希薄すぎて「完全自殺マニュアル」が
売れてしまうというのがあるので、(あれは斎藤先生が
喝破しましたが)子どもの内に哲学や宗教を教えておくべき、
というのは養老先生のいう通りだと思います。
お粗末な内容の上話がそれてしまいすみません。

Posted by: hatati : 2004年04月03日 04:24

ネットにおけるスパイウェアのようなものが
社会全体を覆って、
結局、監視ネットワークは企業のマーケティング
やらなんやらかんやらにも流用されていく
ということを想像してみる。
ちょっと背中を丸めて散歩して帰ってくると、
自宅に「あなたは猫背で損をしていませんか」
とかいう広告が届いてるとか。

Posted by: Kow : 2004年04月03日 13:24

東先生 こんにちは

KagamiさんやKowさんは東先生の意図を忖度して様々なことを
書き込んでおられます。言説が作者の手を離れて多様な文脈に
接続されることは、「作者の死」的概念からして当然でも
あり、ある意味では望ましいことでもあります。
が、しかし、東先生が提出される仮説はkagamiさんやKowさんが
解釈されたものより、豊饒性において、透徹性において、優れた
ものであるはずです。それを掘り起こしたい!これが東先生
ファンである小生の切なる願いであります。
その為の帰無仮説検定をこのBlogにて行っているつもりで
あります。前回はそれがあまりにも娯楽性(ROM受けを狙った?)
を強調し過ぎて、先生からご叱責を受けた次第です。
個人的には言説の緻密性や構造性は必ずしも娯楽性と両立
し得ないものであるとは、考えておりませんが、今回は
「敢えて」学究的姿勢を貫く所存でおります。

仮説が実際には真でないことを証明する目的をもって
この仮説を検証し、その検証に「失敗しなければならない。」
これが帰無仮説検定の定義です。
従って「失敗しなければならない。」ことを証明するために
先生の仮説に反証を提出し続けております。

先生!前回の小生の問いにお応え下さい。
先生の思想の深淵さをファンに改めてお示し下さい。
「被視性」に関する先生の想いをご開陳下さい。
ここまで盛り上がったBlogを一瞬にして沈静納得させる
程のご意見を期待しております。

Posted by: Jab : 2004年04月03日 18:30

>Jabさん
すみませんが、Jabさんの文章からは、まじめに議論を続けようという意図が感じられません。僕も忙しいので、ここらへんで失礼します。

Posted by: 東浩紀 : 2004年04月04日 02:22

>hatatiさん

う~ん、体験主義(実際の体験を大きな価値と置く)は、
どうなんでしょう…。己の痛みを知るものが、人の痛みを
分かち合う優しい人間かと考えると、それはその人それぞれ
であり、なんとも言えない訳で…。

哲学者の池田晶子氏と永井均氏の対談で、池田氏は
極端な体験主義の立場を取り、『なぜ人を殺してはいけないか』
を語れるのは、『殺人者』だけであるて述べて、実際に兇悪な
連続殺人犯などと書簡を交じわしたり、死刑囚を炊き付けて
控訴させたり、色々な活動をしているのですね。
その基本にあるのは、己の魂のみを絶対審級とするプラトニズムで、
体験によって人は絶対的な己の魂の声を聞き、その声に誤謬はないと
池田氏は考えているんですよ。

で、逆に永井氏は体験に池田氏の唱えるような『価値』は
全く無いと考えて、池田氏を論駁しております。
(「2001年哲学の旅」より)

私は永井氏の側ですね。
特に倫理の問題は、例えば、ホロコーストの被害者の方達は
とてもお気の毒だと思いますが、彼等がみんな倫理的な人々
であったかといえば、そうではない。
彼等は普通の善も悪も持ち合わせた市井の人々だった。

ひきこもりも同じで、倫理的なレベルは市井の人々と同レベル
もしくは多少上下に前後する程度でしょう。

我々は、犠牲者(弱い人々・虐げられた人々)にスティグマを
押しつけ、聖なるもの、気高いものとしてのスケープゴートの
役割を負わせてしまう。これは何千年もずっーと続いてきた
ことなんですね…。

私は、それぞれの人間を個々として共に
歩んで(個々の関係性)、決して集団へ概念的な役割を
振らないということが、大切だと思ってますね…。

あと、いかにして倫理を造成するかは…難しいですねえ…。
こればっかりはいかんともしがたい。
少なくとも、学校で道徳の授業をやるような方法では
無理でしょうね…。
ポイントとしては周囲の人々との関係性が重要だと思いますが…。

本議論とあまり関係のない話で、誠に申し訳ありません(^^;

Posted by: kagami : 2004年04月04日 10:23

東先生 こんにちは

>すみませんが、Jabさんの文章からは、まじめに議論を続けようという意図が
>感じられません。

こう書かれた東先生ご自身:

>日本は、本当の意味では、まだテロに怯える社会になっていないと思います。
>カルトにしろ、北朝鮮にしろ、テロの脅威はまだ興味本位の「(笑)」と
>密接に結びついている。

このような興味本位の「(笑)」ウィットに溢れた文章を書かれることも
ある?
お分かり頂けないのでしょうか?僕達の世代は真面目な議論をある種
オブラートに包まないと出来ないのです。シャイネスを諧謔化でカバー
せざる得ないのです。特に著名な評論家のBlogで発言することは、
初心者にとってはそれなりの緊張感を伴います。
上記の例のように先生は必ずしもユーモアやカリカチュア化することを包容
出来ない堅物とは思えません。ましてここは大学の教室や研究室では
ありません。
僕のオーバーで大時代的な物言いは、歌舞伎の見得と同様一種のポーズに
過ぎません。その形式化した文体の中でしか、語り得ないシャイネスを
ご理解頂きたいのです。
それとも東先生はこのBlogにおいても、学生としてゼミにおける指導教官に
対するような規律ある態度でなければ、対話を拒否なさるのでしょうか?

Posted by: Jab : 2004年04月04日 18:41

>kagami さん
長いレスありがとうございます。
僕は一応頑張ってはいるのですが、正直、話のレヴェルについていけないので、もうここには書き込まない様にします。
最後に、永井氏は個人的には姿勢等が好きですが、実際の所、
どうなんでしょう。(僕も易しい物しか読んでいないのですが)

Posted by: hatati : 2004年04月04日 18:50

張り紙の内容がどうだのこうだの
というのがJab氏の主な論点だったようだ。

とりあげられていたのは
「防犯カメラを設置している」と「トイレで万引き作業すんな」という張り紙の差異。

そもそも張り紙の内容、「防犯カメラを設置している」
は客の良心に訴えていると同時に、「だから万引きすんなよ」と脅迫してもいる。
一方「トイレで万引き作業すんなよ」というほうは
単に良心にだけ訴えている。
このどちらがいいのか?とJab氏は問いかける。
で、Jab氏は「防犯カメラを設置している」という
文面の脅迫性が問題だというなら
「トイレで万引き作業すんなよ」という
実際の万引き犯にはなんの実効性もないような文章ならいいのか?と東氏を挑発しようとでもしているようだ。
「こっちなら脅迫性がないからいいんでしょ?しかしこりゃ意味ないんじゃないの?」というところへ
誘導しようとしているわけだろうか。
あるいは彼が名言しているように「文面のみを問題にしてるの?」というところへ。

が、実は本当の問題は
そもそも張り紙の文面がどうのということではなくて
監視カメラが設置されてもいいのか?
設置されてもしかたないケースはどんな状況か?
ということ。
張り紙うんぬんは完全に無意味。
張り紙の文面は問題ではない。
張り紙なんて張ってなかったとしても
監視カメラが設置されていれば問題なのだ。
問題は監視アーキテクチャを許すか許さないか
ということでしかない。

だから東氏はJab氏の発言を
言葉尻をとらえてディベートのためのディベートを
はじめようとする挑発だと一蹴するわけだね。

Posted by: Kow : 2004年04月04日 21:31

ヘルシー女子大生=Aransk=job=KK=すいりく。

おまえほうぼうで自作自演うぜー。
いなばさんとこにも書き込んでやがるだろ。
聞いてばっかいねーで自分でかんがえればー。揚げ足取りばっか。なんか自己啓発セミナーのテクニックぽいね。よくしらないけど。

浅羽シンパかなんだかしらねーけどさー、
学問とか権威と言うものに対して過剰な期待と過剰な嫌悪感がありすぎだよ。

学問も思想も要は個人経営の事業主みたいなもんなんだから、とりあえずは自力更生なんじゃねーのか、なんでもよー。

これ社会の常識ね。
予測が間違ってたらごめんよ。

Posted by: nya : 2004年04月05日 01:44

上記のコメント削除してください。

Posted by: nya : 2004年04月06日 02:21

このblogについて

このブログは、批評家・東浩紀の近況を伝えたり、未完成のアイデアを公開したりするためのものです。運営者は東浩紀本人です。東浩紀の経歴や仕事については、当ブログの親サイトにあたる「hirokiazuma.com」を参照してください。

このブログは、別の形式で運営されていた近況欄を引き継ぎ、2003年12月にオープンしました。2000年8月から2003年7月までの近況欄は、通常のHTML形式で公開されました。その内容は、上記サイトの「以前の情報たち」のディレクトリに格納されています。

また、2003年8月より11月までの近況欄は、無料の日記サービス上で、「hirokiazuma.com@はてな」として展開されました。現在同ページは、「波状言論::はてな出張所」として、東浩紀が運営している自主流通本プロジェクト「波状言論」の告知ページとして運用中です。

デザイン:西島大介

波状言論では、現在、メールマガジン『波状言論』や評論本『美少女ゲームの臨界点』などを作成・販売しています。詳しくは、上記のはてなサイトをご覧ください。

このサイトはリンクフリーです。

最新の投稿

過去の投稿

カテゴリー

moblog [26 items]
そのほか [3 items]
アート [1 items]
オタク・サブカル [1 items]
告知 [3 items]
思想 [6 items]
情報社会 [12 items]
文学 [3 items]
波状言論 [10 items]
近況 [13 items]

運営方針・著作権

このサイトの管理人は東浩紀本人であり、ほかにスタッフはおりません。発言へのコメントは歓迎しますが、すべてに答えられるとは限りません。難しい質問は放置されるかもしれません。発言本文に関係のない投稿や、発展的な議論に結びつかないコメント、無意味なツッコミなどは、予告なく削除されることがあります。あまりに多いコメントが寄せられた場合は、元の発言を含め、すべて予告なく削除されることがあります。

このブログで公開されているテクストの著作権は、各発言(エントリー本文)は東浩紀に、各コメントはそれぞれの発言者に属します。ただし、コメントは発言内に引用されることがあります。その場合は著作権は東浩紀に属し、のち書籍などに転用される場合があります。著作権者の許可を得ていない、引用と個人閲覧の範囲を超えた複製、配布、商業利用を固く禁じます。またこのブログのトップページ以外のページを閲覧した時点で、データの利用に関するこの注意に同意したものと見なします。