kajougenron : hiroki azuma blog
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インスパイア
投稿日時:2005年11月13日16:41
こんばんは。僕にしては珍しく固有名を曖昧にした話をします。
最近、ある新聞で「繋がりの娯楽」というキーワードでネットを分析し、北田さんにまったく触れない長めの文章を見ました。北田暁大氏の「繋がりの社会性」と微妙に変えてありますが、同じことを言っているのは明らかです。著者は僕も北田さんもよく知っているひとですが、これはどうかと思いました。同じひとは某所で「モバイル社会の倫理と開発と欲望」をテーマとした研究会を立ち上げているらしいのですが(準備中のため未確認)、これもどうも「情報社会の倫理と設計」(ised)に似ています。
むろん、僕はそのひとの独自性に異議を挟むつもりはありません。たとえば、さきほどのタイトルであれば、「欲望」の一語を加えたことに彼独特の見解が入っていると言えないことはありません。
しかし、学者である以上、やはり言葉の選択には敏感すぎるほど敏感であるべきです。研究者は概念に著作権を主張しません。だからこそ、その由来はできるだけフェアに参照すべきです。引用や参照の基準はひとそれぞれであり、彼の行動は見方によってはセーフです。しかし、僕の基準では、彼の最近の行為は——ここでは書けないほかの事例も含めて——かなりグレーな領域に入ってきています。いずれにせよ、「繋がりの娯楽」と書くときには、同じ学者としての自負があるのであれば、北田暁大を参照すべきです。
人文・社会系の学者には、むかしから、本当に影響を受けた対象を隠し、そのひとを飛び越えて元文献を引用することでハクをつける、という非倫理的な態度がまかりとおっています。たとえば一昔前には、柄谷行人を読んだことは明確なのに、柄谷の名前を一切出さず「他者」や「交通」をキーワードにするひとがいっぱいいました。こういう行為は、批判するのがたいへん難しいものです。「俺も原書で同じことを思いついたのだ」と言われれば、それまでだからです。
しかし、そのような飛び越えは実際にはすぐ分かるものです。ゆるゆるのインスパイアは、学者人生を狭めるものでしかありません。
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知り合いなら直接言ってやれ
投稿時刻: 2005年11月21日 15:50