kajougenron : hiroki azuma blog
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ライブドアとオウム?2
投稿日時:2006年01月24日01:22
堀江貴文が逮捕された。予想以上の早さに驚いたが、逮捕そのものに感慨はない。前にも言ったように(と書いて思い出したが、それは2ちゃんねる東スレの例のアレで書き込んだだけかもしれない)、僕自身は彼の言動に共感したことがない。むしろ困ったもんだ、と思い続けてきた。僕の母親は堀江支持者だったが、僕はそんな彼女を諭したものだ。むろん、息子の言葉などなんの効果もなかったが。
しかし問題は、そんな個人的意見とは別に、堀江が僕らの世代の代表と広く見なされていることである(僕は1971年生、堀江は1972年生)。たとえば昨晩のニュース23で、筑紫哲也(かあるいはその横の女性キャスター)は、「堀江逮捕については世代でくっきり反応が分かれる」と語っていた。本当か?と思ってしまうのだが、なぜかいまの日本ではそういう前提がある。堀江は団塊ジュニアのヒーローで、若い世代から支持されていることになっている。
isedも、もしかしたらそういう世代的議論だと思われているのかもしれない。実際、初期のメンバーだった鈴木謙介はmixiへの世代的連帯を隠していなかった。IT言論には、そういう世代論がまとわりついている。したがって、堀江氏の逮捕は僕の活動にも影響してこざるをえない。そういう環境になっている。
ここでも思い出すのは、11年前のオウムである。麻原彰晃は新人類世代ではなかった(1955年生)が、オウム真理教の活動に「同世代」を感じた新人類=オタク第1世代は多かった。たとえば大澤真幸や竹熊健太郎がそうだ。そして、1995年のオウム真理教の失敗は、1980年代以降の文化的シーンを先導していた新人類を大きく躓かせた。オウム以後、新人類のサブカル志向や脱社会的志向はどこかうさんくさい目で見られ、素朴な現実回帰がもてはやされた。むろん、オウムの活動は別に新人類の感性を代表していたわけではない。しかし、ある事件が「世代的」だと思われると、往々にしてそういう効果が生じる。
同じように、このライブドア事件をきっかけとして、このところようやく日本社会で盛り上がってきた世代交代への熱意は急速に冷める可能性がある。学生起業や個人投資は虚構で、手堅いのは大企業就職だ、といった保守的なメンタリティが力を強める可能性がある。団塊ジュニア〜ポスト団塊ジュニアへの風当たりは強くなるだろうし、チャレンジングな新世代を支持する知識人(たとえば宮台真司は、昨年3月の僕と北田暁大のトークショーに乱入し、当時ニッポン放送の買収劇を繰り広げていた堀江を熱烈に支持していた)は活動しにくくなるかもしれない。
しかし、それはまちがっている。世代交代は進むべきだし、日本社会はもっとアグレッシブになるべきだ。情報技術はますます社会環境に浸透していくべきだ。そしてその変化を担うのは、いまの20代、30代、すなわち団塊ジュニア以降の世代でしかありえない。これは世代論的感性の問題ではなく、単に時期の問題だ。
堀江氏は時代の申し子だが、世代の代表ではない(本当はオウムだってそうだ)。この国の言論空間は世代によって分割されており、事件が起こるとすぐ世代論が動員される。そのようななか、全共闘世代の一部は連合赤軍に肩入れし、新人類世代の一部はオウムに肩入れしてきた。しかし、今回は、そのような図式は反復する必要はない。僕は、堀江を生み出した社会構造について考えるのは大切だと思うが、彼にはまったく共感しない。みなさんはどうなのだろう? 彼に世代的共感を感じるのだろうか?
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