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コンテンツ産業の開発業者化

「アテンション・エコノミー」という言葉がある。僕の専門ではないので誤りがあるかもしれないが、デジタル技術の発達によって情報財の複製コストがゼロになり、価値が希薄化する一方で、情報に対する注目(アテンション)は有限なので、相対的に稀少化する。したがって、希少資源である「アテンション」が、情報財にかわって価値の基準になるという考え方だ。

これは「売れた作品が勝ち」という単純な話ではない。むしろ、知的財産が今後どのように経済に組みこまれるか、という原理的な話に関係している。

2006年の現在ではまだ、情報財の交換そのものが利益を生むような工夫(DRMなど)がいくつか試みられている。しかし、デジタル情報の本質上、その徹底には無理がある。すべての情報がデジタル化された世界では、ひとびとは情報に対しては金を払わないか、あるいは払うとしてもきわめて小額になるだろう。では利益はどこから生み出されるかと言えば、「その情報を使ってだれがコミュニケーションをしているか」という物理的な現実からというわけだ。この図式はとても説得力がある。

と同時に、僕のようなコンテンツ業界の端にいる人間にとっては、これはいささか憂慮すべき事態のようにも見える。この話は、将来のコンテンツ産業においては、DVDを売る(情報財を売る)のではなく、まず無料で作品をばらまいて、そのあと「その作品を使ってコミュニケーションする人々」に課金するような、そういうビジネスモデルが優勢になることを意味している。そして、検索連動型広告のように、そのような小額課金が可能な新たなプラットフォームがいま続々と提案されつつある。

しかし、これはなにを意味しているだろうか。

その意味するところは、おそらく、クリエイターの「地主」化、コンテンツ産業の「デベロッパー」化である。

アテンション・エコノミーの説(の僕の理解)によれば、情報財は、《それそのものは富を生み出さないがその利用によって人々が富を生み出すもの》である。私たちは、これに近い歴史的なアイテムを知っている。それは「土地」である(*)。土地は、それそのものでは(本来は)富を生み出さないが、そのうえで作物を作ったり、そのうえに商店を建てたりすることで富を生み出す。

その比喩でコンテンツ産業について考えてみよう。最近までのコンテンツ産業の状況はこのような感じだ。クリエイターは土地(作品生産の権利)をもっている。クリエイターは、その土地が生み出す作物(作品)を売買して生計を立てている。いい作物は売れるので、いいクリエイターは多少お金もちになる。

しかし、アテンション・エコノミーの説を取ると、その状況はつぎのように変わると予測できる。クリエイターは土地(作品生産の権利)をもっている。クリエイターはそこで作物(作品)を作ることができるが、最近発明された「フード・レプリケイター」(複製技術)のせいで、作物の販売価格は急速に下がっている。そもそも、作物はいま世界に溢れており、希少性がない。

そのため、今後のクリエイターは、最初だけ作物を作り、土地に商品価値が出たあとは、むしろ土地を開発業者に貸したり売ったりようになるだろう。開発業者はもはや作物は作らない。作物の生産は経済的にわりに合わないからだ。彼らはかわりに、畑を潰して、宅地を造ったりショッピングセンターを作ったり(その土地=作品を使ってコミュニケーションする人々に課金するシステム)、あるいは事前に高速道路の設置計画を入手して高額で売り抜けたりする。その経済には、土地の農業生産力はいっさい関係がない。そこで求められるのは、「この土地がどれだけの生産力をもっているか」(情報財の希少性)の分析ではなく、「この土地をどれだけ多くのひとが欲しがっているか」(アテンションの希少性)の分析である。

実際に、いまのコンテンツ産業を見ると、以上の変化は現実になりつつある。おそらくは、それは資本主義の必然でもあるのだろう。しかし、僕個人としては、そのような動きはあまり好きになれない。僕は作物が好きだからだ。

そして、実際にはデベロッパーの富を増やす話をしているだけにもかかわらず、それが同時に作物の質的な向上に結びつくかのように論じている議論にも、苛立ちを覚える。

土地の値段があがったからといって、またそこに建てたショッピングセンターがはやったからといって、そこから採れる作物がうまくなるわけではない。多少とも作物の質に興味があるのであれば、そこはごまかされないように注意する必要がある。コンテンツ産業や知的財産権に関する議論には、残念ながらその種のごまかしが多い。

(*)正確にはここでは、土地と情報財を比較するのではなく、土地=知的財産権、その生産性(土地の使用価値)=情報財/コンテンツ、その経済的価値(土地の交換価値)=アテンションという比較になっている。むろん、この比較にはいろいろな限界がある。そのもっとも大きなものが、土地はそれそのものとして存在するが、知的財産権は作品があってはじめて存在するという点である。生産の順序からすると、土地→農作物ではなく、知的財産権←コンテンツと矢印は逆だ。したがって投機のメカニズムも変わってくるのだと思うが、そこからさきは僕は専門ではないのでよくわからない。


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