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ここは、批評家・東浩紀が運営するブログです。東浩紀の経歴や業績については、hiroki azuma portalをご覧ください。
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著作権とか白田さんとか
投稿日時:2008年01月29日02:03
こんばんは。原稿が煮詰まっているので、また長文の投稿です。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0801/28/news012.html
この記事の最後の白田さんの発言を読んで、なんか深く同意してしまいました。
■
ぼくもまた、議員とか官僚とか経営者とかNGO関係者とかが出席する研究会やらシンポジウムに出て、おもしろい!と思ったことがほとんどありません(皆無ではないけど)。むろん、そういうときはむこうもこっちの話をつまらねーと思っているのだと思うのですが、とりあえずこっちもつまらないことはまちがいない。
まあそれでも、普通はそんな気持ちは隠してコミュニケーションするわけですが、この記事で紹介されているシンポでは、まさに白田氏は、そんなコミュニケーション全般に対して「おまえら、まじつまんねえよ!」と発言されている。なんと力強い。
前にも書いたとおり、ぼくは政治の本質は資源配分に関わる思考だと考えます。著作権(知的財産権)の問題はまさに資源配分に関わる問題です。したがって、これは政治的なことです。
それでは、ぼくたちの世界では、こういうとき「政治」はどのように動くのでしょうか。普通はこうです。いろいろな利害関係者(ステークホルダー)を連れてきて、とりあえず話をさせて、適当なところで折り合いをつける。著作権であれば、クリエイターとディストリビューターと消費者と、あと最近だとプチクリエイターというか二次創作関係者といったところです。実際、そういうシンポジウムは最近やたらと繰り広げられていて、この記事の会合もその一貫だと考えられます。それで、お金をとりたいひとと、お金を払いたくないひとが、自分の欲望を美辞麗句でかざりたてて、「論争」らしきものを交わす。そして、じつは落としどころもあるていど見えていて、シンポジウムやらなんやらというのは、最終的に「今回の法案については民主的に話し合いましたよ」という口実を作るための儀式にすぎない。こういうのが「政治」です。
ぼくが上の記事から推測するに、おそらく白田さんは、そんな状況全体に対してムカついているのです(いや、ぼくの勝手な推測なので、まちがっていたらごめんなさいだけど)。おれは金欲しい、おれは金払いたくない、まあそこは適当に妥協しましょう、相手の立場もあることですし——って、そんなことで「著作権がどうあるべきか」が、あるいは一般に政策全般が決まるのなら、もう歴史も学問もあったものじゃない。それじゃクラスの喧嘩の仲裁と変わらない。
いや、そのとおり。ぼくもまったくそう思うよ!
■
そう。本当はぼくたちはこういうときこそ、著作権は「本来」どうあるべきか、という原理論を行うべきなのです。そして、結果として出てきた結論が実現可能かどうか、クリエイターが損をするか、消費者が損をするか、そんな話はとりあえず二次的なものとして横に措くべきなのです。その水準では、クリエイターのやる気が湧くかとか、コミケが潰れるかとか、そんな当事者トークはすべてどうでもいい。そういう抽象性が知性というものです。しかし、多くのひとは、そんな水準の議論がありうるというイメージすらできない。
ちなみにぼくは、著作権については、「知的財産はネットワークの時代では一種の土地として機能する」という原則的な認識のもとに、人間社会がこれまで土地所有の制限や管理について歴史的に蓄えてきた経験を、今度の「新しい土地」には物理的な拘束性がないという大きな差異を考慮したかたちで、適宜適応していろいろ新しい法を作っていくのがよいと思います。
たとえば、ぼくは著作権には相続税を導入し、遺族への権利の移譲そのものを制限して、何世代かたつと自然にパブリックドメイン化するように制度設計するのがいいのではないかと思う(なぜなら、土地がそうなっているっぽいから:あまりちゃんとは調べてません)。これは具体的には、上記記事の会合の出席者でいえば、境真良氏の意見にかなり近いはずです。
ぼくは最近、学問って、べつにだれも説得しなくても、だれの役に立たなくてもいいのではないか、と思うようになってきました。そりゃ、象牙の塔に籠もって紀要論文ばっかり書いているのは論外ですが、しかしいきなり現場に役立つ理論をと言われたって、そんなのできるわけない、というか、できたとしても退屈なものに決まっているでしょう。著作権の未来についてだって、最終的にそれが現実に落ちなければいけないからこそ、むしろ余裕をもって抽象論ばかりする場があってもいいのではないか。所有の概念と複製技術の関係とか、労働の概念とオープンソースの関係とか、哲学的であると同時に現実的にもおもしろい問題がやまほどあるのに、そういう肝心なことを「議論」し「啓蒙」する機会がほとんどない。
実現可能性をいっさい問わず、当事者の話もいっさい聞かない著作権についてのシンポジウムとか、だれか企画しませんかね(笑)? だって、普通のシンポジウムの結論なんてわかってるじゃん。
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