kajougenron : hiroki azuma blog
about
ここは、批評家・東浩紀が運営するブログです。東浩紀の経歴や業績については、hiroki azuma portalをご覧ください。
navigation
カテゴリー
critique [175 items]glocom [17 items]
hajou [22 items]
misc [117 items]
moblog [30 items]
recent works [27 items]
zatsudan [1 items]
entry navigation
blog entry
6/12朝日新聞秋葉原記事
投稿日時:2008年06月25日14:57
6月12日の『朝日新聞』朝刊に掲載された、ぼくの秋葉原無差別殺傷事件についての文章を転載します。asahi.comでの掲載はすでに終了しています。
文章は掲載原稿と完全に同じですが、タイトル、見だしなどは省略しています。新聞掲載の原稿では、一般に見出しは新聞社がつけるものであり、ぼくには文責がないからです。
なお、余談ですが、この原稿、掲載時に、「ついに起きたか」とは後出しジャンケン的な卑怯な発言だとか、「どうせなら経団連とかではなくて朝日新聞に突っ込めと煽れ」とかいう意見がネットで多数見受けられましたが、じつはぼくのところにこの原稿依頼が来たのは、この事件のわずか2週間ほどまえに、ぼく自身が、現実と虚構の区別がつかなくなった主人公が朝日新聞社に車で突っ込んで書評委員を実名で手当たり次第に殺すという小説(『キャラクターズ』)を出版していたからなのでした。むろん、原稿ではそんな文脈にはいっさい触れませんでしたが(ぼくの小説など世間的にどうでもいい話ですから)、いずれにせよ、ぼく自身としては、そういうわけで事件に接して特殊な感慨を抱く必然性はあったわけです。そして、彼が朝日新聞社ではなく秋葉原に突っ込んだという事実を前に、いささか自分の想像力の限界を感じたりもしました。
ただ、この機会に断言しておきますが、ぼくのこの文章は、決してテロを煽っているものではありません。むしろ、そう読まれたことのほうが怖ろしいです。というわけで、この数日後に書いた産経新聞の原稿では少し力点が変わっています。
余談が過ぎました。以下原稿です。
■
去る八日、買物客と観光客で賑い、アニメ・ゲーム文化の中心地である東京・秋葉原で残虐な事件が起きた。死者七人を出した無差別殺傷事件である。
筆者は一報を自宅でネットで知った。第一印象は「ついに起きたか」だった。
むろん、事件発生を予想していたわけではない。しかし最近の秋葉原については物騒な報道が相次いでいた。パフォーマンスが過激になり、規制強化が囁かれていた。
他方で若い世代のあいだでは、日本社会への絶望や不満が急速に高まっていた。昨年の論壇の話題は「希望は戦争」と語る若手論客の登場だった。そして、アキバ系と言われる若者文化の担い手と、絶望した労働者やニートの層は、意外と重なっていた。
つまりは、いまや若者の多くが怒っており、その少なからぬ数がアキバ系の感性をもち、しかも秋葉原が彼らにとって象徴的な土地になっているという状況があった。したがって、その街を舞台に一種の「自爆テロ」が試みられたという知らせは、筆者にはありうることだと感じられたのである。
筆者はいま「テロ」という言葉を使った。多くの読者は違和感をもつだろう。テロといえば普通は、何らかの政治的主張を伴った、強い信念のもとでの行動を意味する。今回の凶行にそんな主張があったのか、と。
確かに通常の意味での政治的主張はない。容疑者はネットに大量の書き込みを残している。そこには身勝手な劣等感ばかりが綴られている。社会性のかけらもないように見える。
しかし、逮捕後の調べのなかで、容疑者が職場への怒りや世間からの疎外感を長期的に募らせたうえで、計画的に凶行に及んだことが徐々に明らかになってきている。そこに窺えるのは、未熟なオタク青年が「逆ギレ」を起こし刃物を振り回したといった単純な話ではなく、むしろ、社会全体に対する空恐ろしいまでの絶望と怒りである。不安定な雇用に悩んでいたという報道もある。
容疑者は彼の苦しみを大人の言葉で語らなかったかもしれない。怒りの対象も曖昧だったかもしれない。彼が凶行の現場として秋葉原を選んだのは、おそらくはその曖昧さのためだ。もし彼が首相官邸や経団連本部に突っ込んでいたら、だれもがそれをテロと見なし、怒りの実質に関心を向けただろう。彼はその点でいかにも幼稚だった。無辜の通行人を殺してもなにも変わるわけがない。しかしその幼稚さは、怒りの本質には関わらない。だから、筆者はこの事件をあえてテロと捉えたいと思うのだ。
容疑者はむろん厳罰に処すべきである。犯罪の計画性と残虐性は明らかであり、情状酌量の余地はない。また、このような事件は二度と起きてはならず、容疑者を英雄視することは許されない。ネットの一部では共感の声が現れているが、それこそ幼稚と言うべきだ。
しかし、テロリストを厳正に処罰することと、テロが生み出される背景を無視することは異なる。私たちは彼のような「幼稚なテロリスト」を不可避的に生み出す社会に生きている。犠牲者の冥福のためにも、その意味をこそ真剣に考えねばならない。
comments
コメント