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ミステリーズ!連載7註釈

ぼくはいま『ミステリーズ!』で、「セカイからもっと近くに!:SF/文学論」と題した連載を行っています。タイトルからして時評的なものと思われがちですが、じつのところは、ぼくがひさしぶりに書いている、けっこうまじめでオーソドックスなスタイルの(作品を素直に読解しているという意味で)文芸評論です。

さて、そんな連載なのですが、現在発売中の32号に掲載されている第7回、原稿が規定枚数を大幅に上回り、そのくせ校了直前の入稿で頁数の調整も不可能だったために、注部分がまるまるカットされています。そこで、ここに注部分のみ掲載します。できれば、『ミステリーズ!』32号とこのエントリを並べてお読みください。

そもそもこの連載、巻末に掲載であることからおわかりのようにつねにぎりぎりでの進行で、編集者さんに迷惑をおかけしています。今回はついに読者のみなさんにも迷惑をかけてしまいました。煩雑なことになってしまい、申しわけなく思います。

なお、以下の文章にはネタバレはないと思うのですが、ぼくはミステリの作法はよく知らないので、なにかミスを犯しているかもしれません。ネタバレに敏感な方はご注意ください。

『ミステリーズ!』vol.32、東京創元社
「セカイからもっと近くに!:SF/文学論」第7回
法月綸太郎と恋愛の問題(3)

註釈


「背信の交点」。法月綸太郎、『法月綸太郎の新冒険』、講談社ノベルス、一九九九年。


本文では検討することができなかったが、容子と穂波はじつは、作品世界内の時間ではほぼ同時に綸太郎のまえに現れている。そして彼女たちはじつに対照的な女性である。そもそも容子は非凡なミュージシャンで、穂波は公立図書館の平凡な司書にすぎないが、その対照性は描写でもより細かく強調されている。
本文でのち紹介するように、容子は美しく、社会的な成功を収め、誘惑的な魅力を備えた、綸太郎より優位の人物として登場している。それに対して穂波は、「不美人に見せようとして」「大きな黒い緑の眼鏡をかけている」「メイクは控え目」の女性である。彼女は「三つ編みに結んだ髪を後ろに垂らし」、「このまま閲覧席を埋めている女学生の中に紛れ込んでも、見分けがつかない」(法月綸太郎、『法月綸太郎の冒険』、講談社文庫、一九九五年、二三九頁)。容子は性的な魅力を隠さないが、穂波は隠している。二〇〇八年のジャーゴンで表現するならば、容子は「モテ」で、穂波は「非モテ」だと整理することもできるだろう。
したがって、法月の小説がのち容子よりも穂波を選ぶ(少なくとも、穂波とのあいだは容子とのように決裂していない)ことには、性的に見ると決して小さくない意味が隠れている。警視=母の庇護のもとでモラトリアムを過ごしている非モテ青年、綸太郎は、結局は容子には対峙できなかったのだ。


法月綸太郎、『ふたたび赤い悪夢』、講談社文庫、一九九五年、一七頁。


『ふたたび赤い悪夢』、五五六頁。


『ふたたび赤い悪夢』、六〇一頁。


『ふたたび赤い悪夢』、三五六−三五八、三六三頁。


『ふたたび赤い悪夢』、三六七、四〇七頁。後者は、正確には容子がジョン・レノンから引用した言葉。


『ふたたび赤い悪夢』、五七七頁。


『ふたたび赤い悪夢』、八五頁。

10
『ふたたび赤い悪夢』、五九一頁。

11
法月綸太郎、『二の悲劇』、祥伝社ノン・ノベル、一九九四年、三二二頁。
なお、本文ではほとんど検討できなかったが、『二の悲劇』は、綸太郎が女ではなく母を選ぶ物語、あるいは主人公が他者ではなく分身を選ぶ物語として読むとじつによくできている。
たとえば、容子の不倫の相手は、ほかならぬ警視と近い印象の男として描かれている。つまりは警視は、母としてだけではなく、ライバルとしても綸太郎の恋愛を阻んでいる。小説の冒頭近く、綸太郎と容子と警視は三人で小さなパーティを開くが、そこでもすでにその警視の役割は示唆されている(「いつまでたっても一人前になれないモラトリアム青年なんて、はなっからオトコと認めないわ。どこの誰とは言わないけど、法月警視と較べたら、それこそ月とすっぽんだわね」)(三五頁)。この小説のなかで、警視−綸太郎−容子(母−息子−妻)の三角関係は、綸太郎−容子−不倫相手(息子−娘−父)の三角関係にねじれて重ねられており、しかもそれらは、小説の軸となる殺人事件とそれをめぐる人間関係とも対応している。
ここではアイデアに止めておくが、そこで共通しているのは、綸太郎と容子を含めて、すべての登場人物が他者への直面よりも分身的な関係を選ぶというモチーフである。おそらくはそれが小説のタイトルの理由にもなっている。もしも誌面に余裕があれば、ぼくはこの『二の悲劇』という小説について、そこで容子の存在がどのように排除されたのか、その裏で働いた論理がどのようなものだったのか、そしてその排除の論理が『生首に聞いてみろ』にどのように継承されたのか、連載数回分の分量を使って詳細な議論を組み立てることもできるだろう。

12
法月綸太郎、『生首に聞いてみろ』、角川書店、二〇〇四年、一一−一二頁。
なお、この小説では容子の名が二箇所で言及されるが、法月はそのいずれにおいても、ここでの綸太郎の物語が「容子以後」であることをはっきりと記している。第一の箇所では綸太郎は、容子が彼に結婚を告げた電話を思い起こし、「ともかくそんなふうにして、彼は九〇年代の折り返し地点を通過した」と回想する(一二頁)。第二の箇所では綸太郎は、友人から「先輩に会いたがっている人」がいると告げられ、複雑な思いを抱きつつ容子を思い浮かべるが(「それを聞いて、真っ先に思い浮かんだのは、久保寺容子の顔だった。——いや、久保寺じゃない。滝田容子だ」)(四五一頁)、その淡い期待は法月によってあっさりと、喜劇的な場面に仕立てられて裏切られることになる。

13
『ふたたび赤い悪夢』、三五七頁。法月綸太郎、『ノーカット版 密閉教室』、講談社BOX、二〇〇七年、三七七頁。

追記。なぜここで法月警視が「母」とされているかについては、誌上で本文をお読みください。


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