kajougenron : hiroki azuma blog

about

渦状言論へようこそ。

ここは、批評家・東浩紀が運営するブログサイトです。東浩紀の経歴や業績については、当ブログの親サイトに情報があります。hiroki azuma portalをご覧ください。

navigation

カテゴリー

critique [44 items]
glocom [13 items]
hajou [16 items]
misc [29 items]
moblog [26 items]
recent works [7 items]

archive navigation

blog entries at 【2004年03月】

監視技術の道徳主義的利用

こんにちは。東です。

季節はずれの風邪で悩まされていましたが、徐々に復活しつつあります。僕は父親が40代で花粉症を発症したので、この時期に風邪をひくといつも「俺もとうとう花粉症発症か?」とドキッとします。春先は花粉症のひとは本当に大変ですよね。。。

さて、去る土曜日、鼻水をすすりながら環八をくだっていると、瀬田公園の隣、東名東京インター付近でイヤな看板を見つけました。運転しながら見ただけなので正確に文面を覚えていませんが、「空き缶のポイ捨てはやめてください。いますぐやめないと近日中に監視カメラを設置します。」という文面のもので、設置者は何か公式の行政機関っぽい名前でした。もしだれか近所のかたがいましたら、画像をアップしてくれると嬉しいです。中央分離帯にいくつも設置されています。

では、この文面の何が問題なのでしょうか。それは、この脅迫的な文章が、いまの監視技術への期待の本質を図らずも露呈しているからです。

僕は「情報自由論」で、社会秩序を守るには二つの方法があると書きました。ひとつは道徳や法で、もうひとつは技術的な身体管理です。現代では、道徳や法の力(別の言い方をすれば、教育の力)がどんどん衰えているので、人々は技術に頼らざるをえなくなっています。近代社会は「規律訓練」で治安を守った。しかし、ポストモダン社会は規律訓練がうまく機能しないので、「環境管理」型の技術で治安を守るしかないのです。僕はその深刻さは理解しているし、プライバシー団体が何を言おうと、この流れが変わりそうもないこともよく分かっています。だからこそ、僕たちは、逆に情報=セキュリティ社会(顕名社会)の個人の自由(匿名性)について、原理的なところから考え直す必要があるわけです。

ところが、「情報自由論」の連載が終わって半年以上経ち、そのあいだの報道などを見ていると、日本の事態はどうもそれとは異なったレベルで動いているような気がします。僕の議論の出発点は、さきほども言ったように、「道徳か技術か」という二項対立にありました。道徳で社会秩序が保てるならそれでいい。しかし、ヒトとモノの流動性が飛躍的に高まり、グローバル化と情報化とポストモダン化のせいで道徳の力が限定されてしまった現代社会では、もはや道徳の力は頼れない。だからこそ、監視カメラやバイオメトリクスやRFIDに頼ろう、という話だと理解していたわけです。

しかし実際にはどうか。最近の日本でむしろ目立ってきているのは、「監視技術の道徳主義的利用」とでも言うべき最悪のパターンではないでしょうか。冒頭に挙げた環八の看板がいい例ですが、それ以外にもさまざまな話を聞きます。マンションの監視カメラは、多くの場所で、防犯対策だけではなく、ゴミ出しの監視に使われ始めている。小学校の監視カメラは、不審者の侵入防止のため校門に設置されるではなく、イジメ防止のため体育館裏など校内の死角にも設置されようとしていると聞きます。そもそも日本では、監視カメラの整備が地方の商店街で急速に進んでいます。犯罪率がそれほど高くない地域でも、盛り場を24時間監視するシステムが作られつつある。その背後にあるのは、国際テロに対する危機感でもなければ、凶悪犯罪に対する深刻な不安でもなく、もっと単純に、少年少女の「非行」を抑え込み、共同体からホームレスや外国人を追い出そうとする古くからある素朴で陰湿なムラ社会の精神のように思えてなりません。

僕はこの点は、たいへん懸念しています。よく言われるように、日本社会は、そもそもが閉鎖的な社会です。僕たちはそのことを十分に自覚しておいたほうがいい。そして、そういう拭いがたい閉鎖性とムラ根性にハイテクの監視技術が結びついたときに、何が起きるか。それは、おそらく、ヨーロッパやアメリカとはまた別種の悪夢的な社会になるはずです。

というわけで、「情報社会論」連載時には明確ではなかったのですが、いまでは、監視社会についての議論は二つに分けたほうがいいような気がしています。

道徳か技術か。この二項対立が成立する局面においては、僕は、技術で治安を守ることは不可避だと考えます。しかし、技術で道徳を再強化することには、まったく賛成できません。

テロが起きそうならば、あるいは殺人や強姦の危険性が無視できないほど高いのであれば、監視カメラは備え付けるべきです。僕は、そんなところで、プライバシーの侵害云々と騒ぐひとは愚かだと思います。しかし、「ゴミ出しのマナーを守らないやつがいる」「空き缶を捨てるやつがいる」「夜中に騒ぐやつがいる」といった日常的な不満不平を解消するため、公共の施設や道路につぎつぎとカメラを設置していったら、これはもう切りがありません。そもそもコストがかかりすぎです。マナーの問題は、どれだけそれが不毛だったとしても、話し合いで解決すべきで、安易に監視技術に頼るべきではありません。

CG-Online

あ、そういえば。

僕は今度、

http://www.cg-online.jp/cgoaward.html

なる賞の審査員をすることになったのでした。某誌の新人賞がうやむやになってしまったので、この賞は僕が選考委員として参加するはじめての賞になります。最初に選考委員の依頼が来るのは小説や批評関係の賞だとばかり思っていたのですが、これも時代なんでしょうか。責任重大ですが、それなりにがんばります。振るってご応募ください。

近況

こんにちは。またもやトップページがまっしろになって焦っている東浩紀です。エントリーが1週間しか表示されない、というこの状況は設定を変えればすぐに変わるのですが、適度なプレッシャーだと考えてしばらくそのままにしておくことにします。

とはいえ、とくにいまは書くことがありません。時事ネタ(?)としては、昨日、早速「Remember11」(「メタリアル・フィクションの誕生」でも取り上げたゲーム「Ever17」の続編——ではないのだけど、同じシリーズの最新作)を買ったことぐらいでしょうか。昨晩は悟編2日目で挫折して寝ちゃいました。続きをできるのは来週になりそうです。。。そのころはもう攻略サイトとかできてるんだろうなあ。

あとは波状言論関係で多忙です。その状況はこちらのブログに書きました。はてな代表の近藤淳也氏へのインタビューも迫っています。インタビューアーは、僕に加え、network styly*の濱野智史さんと、Soul for Saleの鈴木"charlie"謙介さん(完全に常連)、そして読者参加の某はてなユーザーさん。ネットコミュニティって何だろう、という話をしてきます。

開放性としての公共性

こんにちは。東浩紀です。また1週間ほどあいだが空いてしまいましたね。

今日はちょっと憂鬱な話を。

みなさんもご存じのように、スペインのマドリードでテロが起き200人近い死者が出ました。先月はモスクワで地下鉄内で爆弾テロが起き、40人が死んだばかりです。9・11の「手段」となった航空機も公共交通機関といえば公共交通機関ですが、テロリストの手は、いまや、地下鉄やバスなど、市民の足に伸びてきているように思います。実際、イスラエルに旅行を考えると(いちど経験者に相談したことがあるのですが)、まず忠告されるのは「バスは使うな」ということです。

おそらくこのような傾向が続けば、そう遠くない将来、地下鉄やバスを含め、多くの日常的な交通機関の利用に個人認証が必要となることは十分に考えられます。少なくとも大都市ではそうでしょう。安全面での配慮だけではなく、その認証とキャッシュレスなICカードを組み合わせれば、実際、多くの消費者がそれを歓迎するとも思います。むろん、市民団体の一部はその流れを「ビッグ・ブラザーの再来」と批判するでしょうが、いままでの経験から見ても、その批判はあまり力をもたないと予想できます。

ところで、そのようなシステムが整備された場合、当然のことながら、不法滞在者やホームレスなど確固たる身分証明をもたないものは、小銭をもっていても地下鉄やバスに乗れないことになります。それははたして「よいこと」でしょうか? よくないけど、安全のためには「仕方ない」のでしょうか? 

それを決めるのは社会全体です(前にこのblogで書いたとおり「社会全体」など本当はないのですが、それはちょっと横に置くとして)。しかし、少なくとも僕に言えるのは、こういうときこそ、「公共とは何か」について原理的に考えてみる必要がある、ということです。

あちこちの研究会でも述べてきたように、僕は、公共性の基盤は、あくまでも他者への開放性(openness)の論理であるべきであって、クラブ財的な発想で他者を排除できる共有地(commons)の論理であってはならない、と考えています。そこが見失われてしまったら、近代社会の最良の部分が失われてしまう。そして、私たちの社会は、情報技術の整備が後押しして、実際に急速にその開放性を失いつつある。これが情報自由論の基礎にある危機感です。

日本は、本当の意味では、まだテロに怯える社会になっていないと思います。カルトにしろ、北朝鮮にしろ、テロの脅威はまだ興味本位の「(笑)」と密接に結びついている。しかし、その状態がいつまでも続くとは思えない。東アジア全体があるていど豊かになり、いまはごまかされている民族的な多様性が火を吹いて、北京やソウルや東京でテロが起こるようになったとき、この国がどこまで市民社会の原理を貫けるか。そこでこそ、東アジア唯一の「先進国」という立場を長いあいだ独占してきた日本の真価が試されると思います。そんなことを考えました。

疲れるなあ……

雰囲気悪くなるのを承知で簡単に。

僕がネットの用法を無視してネットの外で「セカイ系」という言葉を使いまくって一派を打ち立てていると批判しているひとがいるみたいで、そのとばっちりでうちにメールまで来ました。そういう悪意あるメールは普通相手にしないのですが、「メタリアル……」連載も終わっていないのにそういうデマをばらまかれるとはなはだ迷惑なので、簡単に書いておきます。

そもそも、僕は、ネットの外、すなわち活字媒体でセカイ系に触れたことはほとんどありません。「セカイ系」という言葉を使ったことすら、活字媒体では、このあいだのゲーラボの座談会での発言(しかも斎藤環氏が僕に質問したのへの応答)ぐらいしかないと思います。実際、いまうちのHDで検索をかけたところ、英語翻訳用の未発表の草稿と、波状言論がらみしか出てこなかったので、「セカイ系」という言葉自体、ほかには一度も使っていない可能性が高いです。一度も、ですよ! 

そして、その波状言論の文章(これがネットの外とは言いにくいと思いますが)ですら、購読者のみなさんならお分かりのように、セカイ系はまったく主題になっていません。「いわゆるセカイ系」みたいな感じで登場するだけです。というわけで、問題の批判、というか悪口は、完全に言いがかりです。先月のblogで元長柾木氏のセカイ系論を紹介したのを、僕がセカイ系論を書いたとでもカンチガイしてるのでしょうか。

とりあえず、僕がセカイ系という言葉を使いまくっているという証拠があるのなら、見せてください。はっきり言って理解に苦しみます。

というか、だれだか知らないけど(ということにしとくけど)、ひとの悪口を書くときは、それくらい調べましょう。前にも言ったことがあるけど、そういうひとがいるからネットはなめられる。Google使えば評論書けると思ったら大間違いです。

PS
とはいえ、そろそろセカイ系については書きます。実際、今度のユリイカの押井論やゲーラボのコラムは一瞬セカイ系について語っています。

Kraftwerk

@Shibuya-AXに行ってきました……。圧倒されました。

1年前のElectraglide2002@幕張メッセでも思ったのですが、Kraftwerkのライブは映像と音楽のマッチングがとにかく完璧。Expo 2000とかTour de France 2003とか、個人的には過去の名作(RadioactivityとかRobotとかDentakuとか・・・・)に較べ印象が薄い最近の曲も、ライブだとがぜん輝いてくる。

映像の片鱗は公式サイトでもFlashで紹介されてますが、PCの画面で見てもやはり迫力不足。5m×15mくらいの空間に映写されて、その前に4人が立っていないと、あの衝撃力は出てこない。Autobahnが始まったときは、自家用車をVWにして本当によかったなあ、とか心の底から思いました。ドイツ車しか乗れないですよ、あんなライブ見ちゃったら! Kraftwerkのライブを見ると、20世紀の未来派的/モダニズム的美学の最良の部分がここに(一回捻ってレトロなものとして)受け継がれたのだ、といった感想をもちます。

いずれにせよ、すごい、すごすぎる、とか頭悪そうな感想をつぶやきながら帰ってきました。というか、このエントリそのものが頭悪そうですね。でもいいのです。いやはや……。

波状くん

hajoukun_rev.jpg
こんにちは。東浩紀です。ふと気がつくと、blogのトップがまっしろになっていてびっくりしました。どうやら10日間も更新していなかったようですね。波状言論の制作、ユリイカの押井論(あまりうまく書けていません)そのほかにかまけていて、すっかりこちらのメンテナンスを怠っていました。すみません。

このblog用に何となくメモっていたものもあって、草間弥生展&六本木クロッシング展のこととか、「ゼブラーマン」とか、「イノセンス」試写会とか、ネタも溜まっていたのですが、すでに感想を記す時期も逸してしまいました。六本木クロッシング展では、八谷和彦氏のメーヴェはお約束として、ヤノベケンジ氏のエキスポタワーものが印象深かったです。エキスポタワーの展望台にコケが生えていたとは! 思わずビデオを見ふけってしまいました。大阪の展覧会も見に行けばよかった。。。。

ところで、上記の画像は、先日の「夜のファウストまつり」会場で西島大介氏(彼の新刊『凹村戦争』には僕が帯文を寄せています)に描いてもらった波状言論のオリジナルキャラクター、「波状くん」です。両手がファンネルになっていて、言ビームと論ビームを放射するとか。

酔っぱらった勢いで商品化権を含むあらゆる権利を譲渡してもらったので(笑)、これから3Dアニメを作ろうと思います……は嘘としても、少し色とか塗ってみます。こうやって、PhotoshopとかIllustratorとかで遊んで毎日が過ぎているので、情報自由論の単行本化作業はまったく進んでいません。まあ、春ですしね。InDesignも買おうかなあ。

今晩はクラフトワークのライブ@渋谷に行きます。会場でお会いするひともいるかもしれませんね。ではでは!

misc