kajougenron : hiroki azuma blog
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ここは、批評家・東浩紀が運営するブログです。東浩紀の経歴や業績については、hiroki azuma portalをご覧ください。
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blog entries at 【2007年10月】
渋谷慶一郎氏・佐々木敦氏とのトークショー
カテゴリー[critique]投稿日時: 2007年10月18日17:56
こんばんは。
またもやうっかり告知をし忘れていたのですが、今週の日曜日(10/21)、現代音楽家の渋谷慶一郎氏、評論家の佐々木敦氏とともに青山ブックセンターでトークショーを行います。詳細はこちら。
なぜ東が現代音楽を?! と最近の僕の読者は思うかもしれませんが、僕は実は渋谷氏とは古くから、つまり『存在論的、郵便的』の出版以前からの知り合いで、なんと一緒にタワーレコードのフリーペーパーで連載までしたことがある仲なんです。
そのあと、仕事が離れたので疎遠になったかと思いきや、多摩美術大学に講演に行ったらポスターが貼ってあったり、鈴木健氏の友人として飲み会に現れたり、消えたと思ったら再来する幽霊のような男として(失礼!)、渋谷氏は僕の人脈メモリーのなかで微妙な存在感を発揮し続けてきました。そんな彼と10年ぶりにトークショーを行うのが、このイベントです。
ちなみに、その問題のタワレコ連載、自宅のコンピュータを探ったらあっけなく文章が出てきました。おそるべしデジタル時代。
というわけで、連載第1回の冒頭部分を、以下紹介しちゃいます。時は1996年。僕が25歳で、渋谷氏は23歳のころです。初出情報はもはやわかりません。いやあ、ふたりとも超突っ張っていて、めちゃめちゃほほえましいです。対談はこんな調子でガンガン続きます。
ライヒの新作"City Life"について
渋谷:スティーヴ・ライヒというと革新的なミニマリストと思われているけど、実はむしろ、ヨーロッパ的な意味で非常に伝統的な作曲家であり、それが彼のフィールドワーク的な部分とうまくバランスを取っているところに魅力がある。
東:その通り。実際『Writings about Music』(NYU Press, 1974)でライヒ自身明言しているように、彼の音楽は、西洋音楽の「構造」の再考を試みるものではあれ、いわゆる「前衛音楽」が解体を目指したメロディーやコードに対しては、決して否定的ではなかったわけだから。ケージが「すべての音は音楽である」と宣言した後でどう音楽を構成していくかというのが彼の課題である以上、その保守性はむしろ意図的なのだと思う。初期の、一見極めて実験的に聴こえる "Come Out" (66) や"Piano Phase"(67) も、決して叙情性を失ってはいなかった。
渋谷:とすれば、今回の新作 "City Life" も含めた "Different Trains" (89) 以降のライヒの創作に対して、そこに見られる過剰なノスタルジーを批判する向きもあるけど、それは初期から一貫したテイストだったと言うことになる。"Come Out" は好きだけど"The Cave"(94)は甘い、とかいうのは非常に表層的な聴き方だと思う。あと、彼のサンプリングに対するアプローチは独特で、巷に氾濫する「サンプリング・ミュージック」のただ並列的なだけのサンプルの羅列とは対照的に、ひとつのサンプルが合奏のきっかけになったり楽器でなぞられたりすることにより多層的な意味を持ってくる。それは、この"City Life"でも一層押し進められているんじゃないかな。
東:そこで興味深いのが、今観たヴィデオでライヒが言っていたこと。ひとつのフレーズのイントネーションには、話し手の国民性とか階級とかが如実に表現される。ライヒにとってサンプリングとは、そういう社会的多様性をメロディーの上に対応させ、増幅させる装置でもある。例えば"The Cave"の第一幕で、"Sarah was barren"(サラは不妊だった)というフレーズがパレスティナ訛りの英語で反復される箇所があるのだけど、ユダヤ人の起源に関わるそのエピソードは単純に悲劇的であると同時に、また凄く政治的かつ宗教的なメッセージをも含むものなわけだ(ライヒ自身ユダヤ人だし)。
それにしても、渋谷氏と佐々木氏はガチで音楽の話をすると思うんだけど、おれはいったいなんの話をするんだろう……。渋谷の若い頃の武勇伝とかか?
『思想地図』公募論文概要〆切
カテゴリー[critique]投稿日時: 2007年10月17日14:45
『思想地図』の公募論文アブストラクトですが、去る月曜日に〆切を迎えました。僕担当の課題Aには、30件ほどの応募がありました。
まだ応募原稿は見ていないのですが、なかにはかなりの力作もあるようです。これからの選考を楽しみにしています。応募者のみなさん、ご苦労さまでした!
激怒した鍵っ子からメールが来る
カテゴリー[misc]投稿日時: 2007年10月15日12:56
先日のエントリについて、「『AIR』や『CLANNAD』が援助交際肯定文学とはどういうことだ! 説明しろ!」と知らないひとからメールが来ました。
エントリを普通に読めばわかるように、僕は「『AIR』や『CLANNAD』が援助交際肯定文学だ」と言っていません。宇野さんというひとがそういう根拠で鍵好きの僕を批判していて、その状況を茶化して文章を書いているのです。そして、東の鍵擁護に対する宇野氏の批判はすでに活字にもなっているし、ネットでも話題になっています。
抗議をするひとは、日本語を読めるようになってから文句を言いましょう。そして、「『AIR』や『CLANNAD』が援助交際肯定とはなにごとだ!」と怒りたいのなら、いろいろ調べてから宇野さんに文句を言いましょう。
CLANNADと筑駒
カテゴリー[critique]投稿日時: 2007年10月14日13:09
おはようございます。
昨日、「ゼロ年代の想像力」著者の宇野常寛氏にインタビューを受けてきました。
例によって、『AIR』や『CLANNAD』は援助交際肯定文学であり、それを擁護する東浩紀はケシカランという話になったわけですが、そんな僕は予想どおり、今期のアニメは『CLANNAD』ぐらいしか観ていません。援助交際肯定と言われようがなんだろうが、渚と風子には神が宿っていると信じている今日このごろです。
さて、その『CLANNAD』ですが、2004年のゲーム版発売当時にはてなダイアリーで記したとおり、実は舞台となる高校の背景画像として(理由はさっぱりわかりませんが)、僕の母校である東京都目黒区世田谷区(←母校の住所間違えた……)の筑波大学附属駒場中学・高校の写真が使われています。したがって、この秋にアニメ版が始まるにあたっては、あの舞台設定に細かい京都アニメーションがその設定を引き継ぎ、本当に筑駒でロケハンを行ったのかどうか、というのが僕の個人的な興味でした。
というわけで、注意して見てみたのですが、第2話までの結論としては、どうやらまじで、しかもかなり細かくロケハンを行ったようです。
ゲーム版では、学園内の映像は筑駒とまったく違っていたのですが、アニメ版では基本的に筑駒敷地内の光景が使われています。たとえば、第2話のBパートでバスケットコートがある中庭が出てきますが、あれは高校校舎の中庭で、僕が高1のときのホームルームはまさにあの中庭に面した1階でした。僕が10代のときにぼおっと昼飯を食っていたまさにその場所で、渚たちが会話しているのを見ると、変な感慨にとらわれます。
僕も高校を卒業して18年。こんな年齢になって、高校の風景を、しかもこんなかたちで思い出す日が来るとは思いませんでした。筑駒と言えば、最近の文学では四方田犬彦と矢作俊彦の母校ということで話題になったりもしたわけですが、オタク史的には『CLANNAD』の聖地として記憶されることになるのでしょうか。
ちなみに、その筑駒は毎年秋に文化祭を行います。校舎内部が万人に開放されるわけです。聖地巡礼のオタクが押し寄せるのではないかと微妙に心配ですが、筑駒生にはむしろ、この条件を逆手にとって、オタクたちに聖地巡礼グッズを売りつけるようなしたたかさがほしいところです。少なくとも同人誌は作るべきでしょう。がんばれ!(笑)
キャラクターズへの反応
カテゴリー[critique]投稿日時: 2007年10月10日19:07
こんばんは。東浩紀です。
『キャラクターズ』への主要紙文芸時評、文芸誌各紙そのほかの反応が出揃いました。僕の予想よりはるかに好評で、ほっと胸を撫で下ろしています。とにもかくにも、いろいろなひとが読んでくれたのは嬉しいことです。
小説家としては自作について沈黙しているのがかっこういいのでしょうが、そもそも僕は小説家というより批評家なので、そんな自意識に甘えて記すと、数多くの反応のなか、僕がもっとも「こいつは読めてる!」と思ったのは、実は『群像』の匿名コラム「侃々諤々」でした(笑)。あれ、だれが書いたんでしょう。だれかご存知のかたがいたら、こっそりと教えてください。
それと、もうひとつ。『キャラクターズ』については、小説部分は桜坂洋、批評部分が東浩紀と分けて、後者を小説から切り離して現実の批評として読む——というか、『キャラクターズ』全体を単純に東浩紀の新しい評論だと捉えている反応が一定数ありました。しかし、それはさすがに現実と虚構を混同しすぎです。
実際には『キャラクターズ』の制作過程においては、桜坂さんも批評を書き、ぼくも小説を書いています。しかも、たがいの部分には基本的に干渉しないことにしていたので、登場人物である「東浩紀」の言動の半分には、実は現実の東浩紀の手はまったく入っていません。だからこそ、あの主人公は「私」ではなく、「キャラクター」なのです。
むろん、こんなふうに作者の片割れがテクスト外で説明を加えても、それそのものは読者には関係ないし、実際にこの説明が真実かどうかは検証不可能です。だから、気にしなくていいといえば、まったく気にしないでかまいません。しかし、『キャラクターズ』が(少なくとも文芸誌の目次においては明示的に)批評ではなく小説として発表されている以上、小説内の「東浩紀」と現実の東浩紀をとりあえず区別しておくのは、文章を読むうえでの最低限のリテラシーではないかと思います。そんなリテラシーすら成立しないのか、と思える反応が今回プロの書き手からも複数あったのには、いささか驚きました。
いずれにせよ、はじめての小説執筆は刺激的な経験になりました。これからもよろしくお願いいたします。
いま京都にきています
カテゴリー[misc]投稿日時: 2007年10月06日23:53
こんばんは。
いま京都SFフェスティバル参加中です。隣に、桜坂さん、新城さん、伊藤さんがいます。ちょっと時間が早いけど、部屋が空いていたので、
http://ustream.tv/channel/kyo-fes2007
でプレストリーミング中継を始めます。本番は1時かららしいです。
感想などは2ちゃん哲学版東スレに書けと桜坂さんが言っていました。もしかして、途中でみるのかもしれません。ではでは!
京都SFフェスティバル追記
カテゴリー[misc]投稿日時: 2007年10月01日00:00
こんばんは。
来週10月6日の深夜25時(7日の午前1時)より開始する京都SFフェスティバルの合宿企画ですが、昨年のSF大会でのギートステイト座談会企画に続き、ふたたびネット配信を検討しています。
現地でテストをしていないうえに、桜坂さん持ち込みのPCでPHS接続で配信するのでどこまでできるのかわかりませんが、興味のあるかた(で、しかもそんな夜中にPCの前で暇をもてあましているかた)は、下記アドレスに、企画時刻にアクセスしてみてください。
http://ustream.tv/channel/kyo-fes2007
よろしくです。