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渦状言論へようこそ。

ここは、批評家・東浩紀が運営するブログです。東浩紀の経歴や業績については、hiroki azuma portalをご覧ください。

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blog entries at 【2008年03月】

パリだより2

こんにちは。

こちらは19日の夜です。このホテルで過ごすのもあと一晩。18日を飛ばすことになるけど、今日(19日)の簡単な報告をしておきます。

まず午後は、Philosophie Magazineの取材を受けました。

philomagazine.JPG

左は、ジャーナリストのJuliette Cerfさんです。1pあるいは2pの記事を書いてくれるそうです。インタビュー内容は、ほとんどオタクには関係なく、むしろなぜぼくが大学的言説から距離を取っているかとか、デリダの思想と『動ポモ』にどう関係するかとか、そういう話でした。

夕方からは、先日の日仏会館でのvisio-conferenceで討議相手になってくれた、Marc Crépon氏の自宅に招かれました。Crépon氏の著作では『文明の衝突という欺瞞』が翻訳されています。

crepon.JPG

右がCréponさんです。ご自宅はパリ15区の典型的なアパルトマンで、とてもいい感じでした。東は白ワインが好きそうだ、とのことで(ノルマルの食事会のときにがぶ飲みしていたらしいのです)、ガスコーニュ地方のおいしいワインを出していただきました。
Crépon氏は、デリダの専門家であり、また日本でも有名なスティグレールとともにいまセミナーをおもちです。オタク文化の問題に限定されず、情報社会における哲学や教育のありかはなにかなど、話はたいへんに盛り上がりました。
それにしても、いまあらためて見て思いましたが、この写真、ぼくが妙に偉そうですねw。

いずれにせよ、今回のパリ滞在でいろいろなかたと会ってみて、日本の現代の批評的文脈はヨーロッパに紹介するべきだし、またその需要はある、と確信しました。『思想地図』が、そのような回路を開くきっかけになるとよいのですが。

またひとつ課題が増えた感じです。

パリだより1

東です。こんにちは。こっちは水曜日の昼間です。

ようやく時間が空いたので、パリでの活動を報告がてら、写真を何枚かアップしてみようと重います。

さて、パリに到着したのは14日の夕方。

翌15日は、まる一日、国際会議「Le manga, 60 ans après...」に出席していました。

MCJP.JPG

これが会場の日仏文化会館。Bir-Hakeim橋のたもと、エッフェル塔が正面に見るなかなかいい場所に立っています。

sympo.JPG

ぼくの講演の様子。左から伊藤剛さん、ぼく、フランス語版に序文を書いてくれたMichel Maffesoli氏、そして今回のシンポジウム全体のディレクターを務めるJean-Marie Bouissou氏。
ぼくはこのとき、飛行機の長旅と前日のワインが祟って、ほとんど声が出ない状態に陥っていました。それでも、伊藤さんとぼくの講演は好評で迎えられたようです。17日に行われたシンポジウム2日目でも、いくどか言及されていました。
なお、上の写真、よく見ると東工大の綴りが間違っていますね(笑)。いま気づきました。

16日は大型ブックフェア「Salon du Livre」のHachette社のブースで、サイン会に出席してきました。

dedicace.JPG

これがそのブースの写真です。

このブックフェア、よく知らなかったのですが、一般読者が参加するものとしてはヨーロッパ最大の規模らしく、日曜ということもあり会場はかなり混雑していました。サイン会を行う作家も3000人に及ぶとか。日本にはあまりない習慣です。
児童書のブースもでていたので娘のため絵本でも探そうと思ったのですが、サイン会が終わってしばらくすると、緊急放送がかかって観客は全員会場外に出されてしまいました。伊藤さんのブログにもその様子がちょっと書いてあります。
なお、その伊藤さんのブログに書いてある「コスプレ娘と一緒の写真」云々は、日本の某誌より希望があって撮影したものです。どこかでそういう写真が載っていたら、ああ、このときの写真かと思ってください。

quentinJPG.JPG

そして上は、ブックフェア会場近くのカフェでの一枚。左から、ぼく、仏訳版の翻訳者圏エージェントのCorinne Quentinさん、そして伊藤さんです。Quentinさんはたいへん優秀なひとで、今回の渡仏でもとてもお世話になりました。『動ポモ』の紹介にも尽力していただけて、早くもイタリア語への翻訳の話などが来ています。
なお、ブックフェアに行って知ったのですが、Quentinさんは玄侑宗久や池澤夏樹の小説も仏訳しているのだそうです。玄侑宗久とぼくの日本語が、同じ翻訳者によってフランス語になっているとは! 日本からは見えない繋がりです。

17日は「Le manga, 60 ans après...」の2日目。会場が変わって、ラウンドテーブル形式のシンポジウムになりました。

scencepo2.JPG

これが会場の様子です。

さて、今回の旅行、渡仏前からスケジュールが詰まっていて原稿や準備が間に合わず、しっちゃかめっちゃかの状態でパリに到着したわけですが、しかし、到着したとなったらやはりアルコールが入ってしまうもの。14日は到着祝いをし、15日はシンポジウム参加者による打ち上げ、16日はエコール・ノルマルのSemaine Japonaise関係者による食事会と立て続けに飲んだうえに、時差ぼけであまり寝れていなかったのが響いたのか、この日の朝、ぼくはついに高熱で倒れてしまいました。

それでも、午後遅くには会場に現れ、頭痛に耐えながらラウンドテーブルに参加。さすがに打ち上げ(また打ち上げがあったのです)は帰ろうと思っていたのですが、「とりあえずアペリティフぐらい飲めよ!」とのディレクターの声に誘われてレストランに。そして・・・。

そしてぼくはむろん、最後までいました。下が一次会終了時点での集合写真。人数が多いので、左半分は切れています。

gatheringJPG.JPG

ぼくは下の座っている3人の真ん中にいます。左が伊藤さん。

ほかも3人だけ紹介します。ぼくの右上に立つ白いマフラーを巻いた女性が、「Victimized Cyborgs : the Representation of Fragmented Self in 'Gunslinger Girl'」という発表を行った、オーストラリアの研究者、Christie Barberさん。ちなみに、1日目の発表では3人が『ガンスリンガー・ガール』に言及し、解釈をめぐって討論まで行われていました。
そのマフラーの女性の後ろで、上を見上げているのが、山梨大学のJulien Bouvard氏。Bouvard氏はまだ若く、日本語が堪能なだけではなく、最近の萌えや批評の文脈にきわめて通じており(ぼくと伊藤さんの名前をこの会議で提案したのも彼だとか)、今後のマンガ研究でキーパーソンになると思われるひとです。なお、彼の発表は表現規制についてだったはずですが、ぼくはそのときホテルで寝ていました(ごめん!)。
そのJulienの右隣にいる、陽気な感じの男性がイタリアの研究者、Marco Pellitteri氏。彼はイタリアのオタクの現状について報告したのですが、日本のマンガやアニメの無国籍性がイタリアのオタクにおいて日本性の表徴として捉えられている、などなど、おもしろいことを言っていました。日本の雑誌に、彼の講演の翻訳が掲載されるかもしれません。

そして2次会へ。それにしてもパリの夜は寒い! ぼくはごほごほ言っていました。はたして、こんなんで翌日は大丈夫なのでしょうか。

むろん、大丈夫なわけがありません。6時間後、ぼくは心底疲れ切って朝を迎え、自分の愚かさを呪うことになるのでした。

よく考えてみたら、ほかの参加者はもう帰るだけだけど、ぼくはその翌日も朝11時から雑誌取材を受けねばならなかったのです。そしてついにノルマルの講演が・・。

今回はここまで。続きは気が向いたら帰国後に書くことにします。

じつは18日は本当にばたばたしていて、地下鉄が止まるわ、切符をなくして改札は開かないわ、セキュリティゲートをくぐって突破するわ、日本語のファイルがノルマルのマシンで開けないわ、トラブル続きで講演開始を迎え、校舎の写真、講演の写真ひとつ撮る余裕がなかったので、あまりおもしろくない報告になるかもしれません。

せっかく、ラカンやデリダも講演したという伝説の教室、Salle Dusanneで講演したというのに・・・。なぜこんなどたばたに・・・。

マンガ会議講演概要

こんなことを話します。急いで書き殴った翻訳者用の概要です。ふだんはこういうのは作らない(聴衆の反応を見て話すのが好きなので)のですが、今回は翻訳が挟まるので作りました。

講演記録は別に出版される予定らしいので、正式にはそちらを参照してください。


■■■

Le manga, 60 ans apres...
The otaku phenomenon and Japanese postmodernity
講演概要
全40分


自己紹介そのほか

0:00

僕は批評家であり、マンガ研究者ではない。社会学者でもない。大学院では哲学を専攻していた。だからオタクについてこれから語ることも、抽象的で思弁的な話である。そのことを念頭に置いてもらいたい。

今日の講演の中心は、おもに、『動物化するポストモダン』(Generation Otaku)という、最近フランス語訳が出版された著作の紹介となる。この著作は2001年に日本で出版され、よく売れた。2007年に韓国語訳が出版され、また今年中かあるいは来年に英訳が出版される予定である。
『動物化するポストモダン』はフランス語訳では「オタク世代」と翻訳されたが、もともとのタイトルは、「動物化するポストモダン オタクから見た日本社会」というものだった。つまり、主題はあくまでも、「ポストモダン」「日本社会の変化」、そしてこの本で新たに提示された「動物化」という概念で、「オタク」はそれらの変化を実証するためのひとつの例だった。しかし、日本でも、この本はまず「オタク」についての本だと読まれた。
また、この本を契機として、日本では、若いオタクたちのあいだに、批評的言説を好む読者が一定数現れた。10年前の日本では、現代思想的用語とともに語られるのは文学であり映画であり美術だったが、いまではその半分ぐらいが、マンガでありアニメであり美少女ゲーム(この特異なジャンルについてはのち語る)になっている。


物語消費とデータベース消費

5:00

それでは、『動物化するポストモダン』の内容を紹介しよう。

まずぼくはこの本で、オタクという言葉をほとんど定義していない。オタクとは、マンガやアニメやゲームやそのほかもろもろ、たがいに結びついた一群のサブカルチャーを熱心に受容する人間、といったていどの意味である。
なぜそのような単位に注目するべきかというと、今日の会議のテーマはマンガだが、マンガに限らず日本のサブカルチャーについて考える場合、その「オタク」というまとまりに注目するのはとても大事だからである。オタクたちは人種的集団でも経済的階層でもないが、日本では、独特の固有性をもち、ひとつのまとまりとして捉えられている。同じマンガでも、オタク向けに書かれているものと、オタク以外に向けて書かれているものは、かなり異なったジャンル的文法で書かれているように思われる。オタクたちは、彼ら固有のルールで文化を消費している。そのルールを理解しないで、単独に作品だけを学問的な擁護で分析しても、日本では有効な分析と見なされない。

さて、そのような前提のうえで、僕が主張したのは、オタク文化はかくも独自の世界だと思われているが、しかしそれでも、やはりそこには「ポストモダン的」な要素があり、また戦後日本の精神史が反映されているのだ、ということである。

ここにいるみなさんは、そんなのは明らかだと思われるかもしれない。たとえば、オタク文化のポストモダン的性質については、二次創作の存在を見れば明らかだ。そこでは、オリジナルとコピーの関係が崩れている。「シミュラークル」の世界だ。また、マンガやアニメが、戦後日本の諸問題を反映しているのも当然のことだ。
しかし、ぼくが言いたいのはそのようなことではない。

筆者はまず、この本で、1990年代、オタクたちの消費行動には大きな変化があったと主張している。それはどのようなものかというと、「物語消費」から「データベース消費」への変化である。いまならば「キャラクター消費」と呼んだほうが適切かもしれない。オタク文化での消費の単位が、物語から、その物語を構成する「要素」のほうへ移動したのである。
それはたとえば……。
<例 『ガンダム』vs『エヴァンゲリオン』>
<『動物化するポストモダン』の図>
ちなみに、「オタク第1世代」と「オタク第3世代」——この区別もいまや日本では一般的になっているが、はじめてそう区分したのはじつはぼくである——のこの差異は、ぼくが2001年に本を出版したときにはまだ不明確で萌芽的なものだった。
<例 萌え要素、美少女ゲームの説明、『動ポモ』の図版を見せながら、このときはこのような例しかなかった……というような話>
しかし、そのあと、美少女ゲームやライトノベル(キャラクター小説)の台頭、「萌え」の流行語化、そしてインターネットを中心としたオタクコミュニティの成長によって、ますますはっきりとしてきている。
<ここで美少女ゲームやキャラクター小説について説明:時間があれば>
なお、さらに註釈を加えれば、1980年代現在、若い世代のオタクたちの消費行動は「データベース消費」というより、むしろ「データベースを媒介としたコミュニケーション消費」とでもいうべきものが主流になっている。なにかを話題(「ネタ」)としてとにかくユーザーが繋がればいい、というのが、いまの日本での大きな流れである。
<例:らき☆すた ニコニコ動画とYouTubeの違いなど>
このような変化の意味については、『動物化するポストモダン』の続編で、日本では昨年出版された『ゲーム的リアリズムの誕生』に記されている。


動物化

23:00

さて、オタク第1世代と第3世代のあいだでは、このように消費行動に大きな差異があるわけだが、しかしこれはなにを意味するだろうか。そこで筆者は、大澤真幸という社会学者の戦後日本社会の精神史区分と、Lyotardの「大きな物語の崩壊」論(『ポストモダンの条件』)、そして、Kojeveの『ヘーゲル精神現象学講義』への小さな註釈に注目した。

<ここからさきしばらくは『動物化するポストモダン』の話>
<理想の時代→虚構の時代→?>
<1995年オウム真理教事件の意味;虚構の時代の終わり>
<それでは虚構の時代のあとは?>
<大きな物語の崩壊、という観点から大澤の議論を整理する>
<大きな物語がある時代(理想の時代)
→物語は崩壊したがフェイクが求められた時代(虚構の時代)
→もはや物語のフェイクすら必要なくなり、ただデータだけを消費する時代(現在)>
<大きな物語→物語のフェイク→大きなデータベース>
<近代的人間→スノビズム→動物化>
 
以上のように、1990年代のオタクたちの消費行動の変化は、「物語消費からデータベース消費へ」「スノビズムから動物へ」という言葉でまとめられる。そしてそれは、戦後日本の精神史の展開をみごとに反映しているとともに、またポストモダニティの深化とも捉えられる。
それが『動物化するポストモダン』の結論である。


追記
33:00

なお、今日の講演はたいへんに短いので、本来はこれにはさまざまな註釈を加える必要がある。短めにふたつだけ。

ひとつは「動物化」というキーワードの意味である。
ぼくは『動物化するポストモダン』で、オタクは「動物化している」と主張している。しかし、それには肯定の意味も否定の意味も込めていない。このことは重要である。なぜならば、ぼくは、動物的消費を前提とした人間的社会、人間的コミュニケーションの構築も可能だと考えているからだ。さきほど見せたニコニコ動画のようなコミュニケーションを考えてもらいたい。そのようなコミュニケーションは、従来の常識ではまったく人間的なものではない(日本でも一般にはそう思われている)。しかし、ぼくは、そこにしか新しい人間性の可能性はないと思う。
今日はまったく触れられなかったが、動物性を前提としながら、従来のありかたとは違ったかたちで人間性を再構築するオタクたちの試みを、『動物化するポストモダン』では「解離」という言葉で読んでいる。出版してから気がついたのだが、解離、つまり dissociationとは、また脱社会化(associationの逆)という意味でもある。解離的で脱社会的な人間的コミュニケーションの世界。これがオタクたちが目指すべき新しいコミュニケーションのすがただろう。本当はここに、日本社会論、都市論なども関係していて、実際にぼくは『東京から考える』などという都市論を出版しており、そこではショッピングモールにこそ新しい文化の萌芽があると主張している。その主張と、『動物化するポストモダン』の動物性の議論は深く関係している。
マンガの話と離れてしまったが、ぼくがここで言いたいのは、ひとことで言えば、オタク文化とはライフスタイルの問題であり、その意味を捉えることなしに作品分析だけしてもその射程は限られているということである。

もうひとつは、この『動物化するポストモダン』が、日本の批評的文脈でもった価値転倒についてである。オタク文化を思想用語で捉える、というその企図そのものがすでに十分に価値転倒的ではあるが、しかしそれだけではない。ぼくはこの本で、日本のポストモダン論がもっていたナルシシズムを転倒しようと試みた。
フランスの方々であれば、ぼくがさきほど参照したKojeveの議論がきわめてマイナーであることはご存知だろう。にもかかわらずぼくがそれを引用したのは、その議論が日本ではメジャーだったからである。アメリカ的動物性よりも日本的スノビズムのほうがすぐれており、そこにこそポスト歴史の進むべき道がある、というこの議論は、1980年代から90年代初期にかけての日本ではたいへんに好まれた。そして彼ら、「スノッブでシニカルな日本的ポストモダニスト」たちは、そのようなナルシシズムに酔っているあいだに、そのとき彼らの足下で起きていた草の根のポストモダン化を完全に無視していたのである。
その結果、1990年代も後半に入ると、日本のポストモダニズムは急速に影響力を失った(いまでも失っている)。むろん、ポストモダニズムの影響力低下には、冷戦崩壊や9.11も関係していて、国際的に不可避の部分がある。しかし、それを考慮しても、日本での打ち捨てられかたには行きすぎの面がある。ぼくは『動物化するポストモダン』で、その状況を転倒しようと試みた。したがって、この書物には、日本における批評的言説の再構築、再活性化をという目的があり、そして実際に2001年以降、日本の批評的光景はかなり大きく変わったと思っているが、その点についてはこの講演の主旨と離れるので省略しよう。

とにかく、ぼくがここで言いたかったのは、マンガ論はオタク論に必然的に繋がり、オタク論は現代社会論や日本論に必然的に繋がり、したがって有効なマンガ論やオタク論を構築することは、必然的に現代社会論や日本論での価値転倒を含まざるをえないということである。
今日はほとんど作品の話をしなかったが、みなさんの参考になれば幸いだ。

ご静聴、ありがとうございました。

Manga/Salon du Livre/ENS

こんにちは。東浩紀です。

渡仏を控えてスケジュール管理に絶対的に失敗し、かなりの修羅場になっています。とりいそぎ、下記にフランスでの講演予定などを投稿しておきます。

このほかにも、夕食会に招かれたり雑誌取材を受けたりといろいろあるので、けっこう忙し感じです。おまけにフランスにもっていく原稿も二つほど残りそうで、観光などありえない。果たしてぼくは生きて帰ってこれるのだろうか……。

むこうでも、1回くらいはブログを更新したいものです。

3/15(土)
国際会議「Le manga, 60 ans après... 」に参加します。
於 パリ日本文化会館
14h30-15h10 講演
15h10-15h40 discussion avec Michel Maffesoli
17h45-18h15 Table ronde
詳細はこちら
Michel Maffesoli氏は、仏語版『動ポモ』の序文を書いてくれています。


3/16(日)
ブックフェア「Salon du Livre」に参加します。
於 Porte de Versailles, Hall 1
15h00-
Hachette のブースにて
詳しくはこちら
「dédicaces」は「サイン会」という意味です。サインしたり取材を受けたりするらしいです。

3/17(月)
国際会議「Le manga, 60 ans après... 」に参加します。
於 Centre d’études et de recherches internationales (Sciences Po)
17h15-18h30 Table ronde
詳細はこちら
第1日と場所が異なるようです。

3/18(火)
エコール・ノルマル・スペリウールで講演を行います。
於 École normale supérieure
18h30-
詳細はこちら
3月13日から20日までENSで行われている「Semaine Japonaise」というプログラムの一貫です。
リンク先のPDFをダウンロードするとわかりますが(表紙がたいへんにオリエンタリズムな感じですw)、ほかにも日本からは作家の堀江敏幸さんなどが参加されていて、それなりに大規模なプログラムのようです。この講演がいちばん緊張します……。

日仏対訳ブログ

『動物化するポストモダン』仏訳出版に併せて、日仏対訳のブログを運営することになりました。下記より見ることができます。

フランスの読者に向けた飜訳を前提とした文章なので、日本の読者から見ると「つっこみどころ満載」というやつかもしれませんが、その点はご容赦を。

http://www.saysibon.com/saysidon/

肝心の仏語版は、なぜかぼくのところにはまだ現物が届いていません。しかし、すでに販売され反応も好調のようです。フランスの方よりメールもいただきました。

もろもろ告知

明日(3月5日)より、毎週水曜日夕刊掲載で一ヶ月間(4回)、「読書日記」が日本経済新聞に連載されます。

『SIGHT』の最新号(vol.35)に「東浩紀ジャーナル」第8回が掲載されています。

『未来心理』次号(no.11)で、桜坂洋氏、瀬名秀明氏と鼎談しています。同鼎談はウェブでも公開される予定とのことです。

『論座』の次号で、佐々木敦氏、大澤信亮氏と鼎談しています。大澤氏とは初対面です。『思想地図』対『フリーターズフリー』、批評派対運動派のアングルになるのかと思えば、まったくそういうことはなく、鼎談後は快調に飲みに行きました。

3月29日に、青山ブックセンターで、佐々木敦氏の『絶対安全文芸時評』刊行を記念したトークショーに出席します。

ゼロアカ第1回終了しました

そういうわけで、ゼロアカ道場第1回、終了しました。いまスタッフと反省会&打ち上げをして自宅に帰ったところです。

今回の課題は、まず各自が持参した書籍を全部スタッフが取り上げたうえで、クジ順ごと5人ひと組を前に呼び出し、前に積まれた書物群のなかから「自分が持参したものではない本」を一冊選ばせ、そのうえで持参した本と選択した本の関係について3時間で最低1000字の小論文を書け、というものでした。評価ポイントは、運(これは大事です)、短時間での読解力、そしてキャッチーな論旨を短時間ででっち上げられるかどうかの「ライター力」です。

積まれた書物は、西尾維新、佐藤友哉といったBOX的基本から、「恋空」、BL小説(二冊ありました、ごめんなさい作家名忘れてます)、川上未映子、東野圭吾や山田正紀まで、かなり多岐にわたりました。なかなかおもしろいラインナップです。

ざっくりとした感想ですが、まあ、とにもかくにも、キャラの立ったひとが集まっていました! 今回、ぼくは完全にブラインドで、つまり「だれがなにを書いたのかわからない」状況で論文審査をしたのですが、結果的にはキャラのたったひとがかなりの確率で残っています。10代あり、タイ在住のロンゲあり、元経営者あり、腐女子?あり、非モテ集団あり(「ヒモテーズ」命名by太田、だれがそのなかに数えられているかは秘密)といったところで、次回以降も期待がもてそうな感じです。

第一回選考通過者は27人28人(間違えていました)ですが、選考発表にいなかったひとが3人います。その方々には、あとで連絡が行くはずです。

選考通過者は、A、B+、B、B-の4つのカテゴリに分かれています(Cは非合格)。近日中に、講談社BOXのHPで、非合格者を含め、すべてのひとの提出論文と評価が公開される予定です。公開の予定はないのですが、じつは内部的には、A内部に「A+」評価のひとが3人いて、彼らは第二回選考ではちょっと優遇される……のかもしれません。

第二回選考は5月17日土曜日、午前9時東京駅集合です(詳細は参加者だけに後日連絡)。東京駅集合、というところから、なにか仕掛けがあることは自明なわけですが、その内容については当日まで秘密です。

今後のスケジュールですが、第二回(5月)で約15人に、第三回(6-7月あたり?)で10人に、第四回(10月あたり?)で6人に、第五回で3人に、第六回で1人に、という順番で絞り込んでいく予定です。それぞれの関門で、まったく異なったタイプの選考が行われます。第二回突破者の段階から、参加者のプロフィールや顔写真を公開していきます。そのときは、太田"J"克史が、彼独特のネーミングセンスで、「非モテーズイエロー」などある意味で終わった通り名をつけていくらしいので(そちらについてはぼくの責任ではないので、ぼくにクレームをつけないように!)、それもお楽しみに。

今晩は、選考発表後、試験会場で1時間強の懇親会が行われました。残念ながら不合格となった参加者を含め、たいへんわきあいあいとしたいい感じの雰囲気でした(写真更新する余裕がなかった!)。

一部では微妙にナンパまで行われていたという噂のあるその会場の雰囲気は、試験直前、また試験中のピリピリした参加者の表情とともに、近日中で映像で公開される予定です。そちらもお楽しみに。

いずれにせよ、参加者のみなさん、本当にご苦労さまでした!

おっと、最後に肝心の小論文の内容についてのひとこと。厳しいことを言うと、ぼくの思ったよりも、「両方とも読んでるぜ、ふふん」みたいなひとが少なかったです。それでも、強引に論旨をまとめたひと、あるいは最初から勝負を別レベルでずらすべく工夫をこらしているひとは通しましたが、「Googleでいま調べました」感が高いひとはさすがに落としました。

今回は、よくも悪くも表層的、表面的な力を見ています。なぜならば、その力も、批評で10000部を売るためには絶対に不可欠だからです。思考の深さ、本人の問題意識の中核を見る選考は、別の段階で行うつもりです。

では、次回以降を乞うご期待!

ゼロアカ道場始まりました。

ゼロアカ道場始まりました。

http://d.hatena.ne.jp/hazuma/

システムの関係で、上のはてなダイアリーのほうに携帯電話から投稿しています。

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