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Hiroki Azuma Criticism
This page provides an overlook of Hiroki Azuma’s various activities. HIroki Azuma is a Japanese philosopher / critic. He was born in 1971 and started his writing career in 1993. He has so far published seven books, including Suntory-prize awarded … Continue reading
鼎談&忘年会 Year End Party
携帯から画像を送ってみたように、昨日、「波状言論」2月号用に宮台真司・鈴木謙介両氏との鼎談を収録し、そのあとごく内輪だけの忘年会を行いました。 1枚目の写真は、左から西島大介さん、鈴木さん、宮台さんの3人。本当はこのとき宮台さんも携帯で写真を撮影していて、miyadai.comと僕のサイトでたがいにトラックバックを送りあおう、なんて話もしていたのですが、そちらの画像はアップされていないようですね。2枚目の写真は、左から、成宮観音(三坂千絵子)さん、斎藤環さん、そして前にいるのが「波状」編集部の前Q。斎藤さん妙にうれしそうだなあ。 ところで、そんな感じで忘年会も楽しく行われたわけですが、その前の鼎談もたいへん充実したものでした。鼎談、というよりも、僕と鈴木さんで行った 宮台さんへの共同インタビューといったほうがよいものでしたが、3時間以上話を聞きました。宮台さんのトークというと最近では政治的な戦略に基づいたメッ セージ(宮台さん言うところの「知識人としてのロールプレイ」)が目立ちますが、今回のインタビューは、時事的な話題ではなく(それはあちこちで読める し、そもそも波状言論の購読者には宮台さんの熱心な読者が多そうなので)、『サブカルチャー神話解体』からの10年を振り返って、人間としての宮台さんの 本音や立場を率直に語ってもらうという方向で行いました。自分で宣伝するのも何ですが、サブカルから政治へ、脱社会化の支援から再社会化の支援へと重点を 移してきた宮台氏の変化に正面から疑問をぶつけた、例のないインタビューになったと思います。後発世代の僕にとっても、たいへん勉強になりました。配信は 2月になります。例によって、莫大な分量になるでしょう。 お忙しいところ、ありがとうございました>宮台さん I’ve sent pictures to mobile phones, yesterday, “wave speech” and included a three-way conversation with Messrs. K. Suzuki, Shinji 宮台 for February, a small inner ring made just after the … Continue reading
パトリシア・ピッチニーニ Patricia Piccinini
美術手帖での五十嵐氏との対談でもちらりと出てきた、オーストラリアの新鋭美術作家、パトリシア・ピッチニーニの個展を東京品川・原美術館まで見に 行きました。これはすばらしい! 生命倫理への問題提起がどうとか、気味が悪いとか何とかを通り越す独特の迫力があります。「Young Famlily」の人豚(と形容してよいのか?)の作り込まれた足や背中の表情など、ナマで見ないと分からないです。 僕はこの作家については図録以上の情報をもっていないのですが、1990年代のSF映画はCGだけではなくて特殊メーク的にもけっこうな進化を遂げ ているはずで(スタートレック・シリーズで有名なマイケル・ウエストモアとか)、この作家はそういうところにも影響を受けているのではないか、と感じまし た。これは当たっていないのかもしれないけど、そういうインパクトがあります。現代美術を敬遠されているかたでも、特殊メークに興味があるのならばぜひ。 実際の制作過程にも関心が湧きます。クレジットを見ると、ピッチニーニがひとりで作っているわけでもないようです。 原美術館のサイトはここ。 残念ながら、Flashをいたずらに多用したこのサイトはおそろしく見ずらいのですが、がんばってピッチニーニのページまで辿り着いてみてください (Hara Museum of Contemporary Art > Japanese > Exhibitions で行けると思います、おそらく)。前述したような人間と豚の中間の存在、皮膚だけ老年になった「アキラ」のような少年たち、不気味な細胞塊を抱える少女の 人形などががんがん出てきます。これはいいですよ。少なくとも、僕はこういうのはけっこう好きです。 書き忘れました。この作家の作品は、文字どおり、人間の「動物化」をテーマにしたものですね。「動ポモ」の動物化とは違うかもしれない——とは思い つつも、それがバイオテクノロジーの問題と関わるのであれば、どこかで繋がるのかもしれません。そういえば、フランシス・フクヤマの『人間の終わり』は けっこう面白い本です。これがバイテク批判です。フクヤマは思想界隈では評判が悪いけど、着眼点はいいひとだと思います。 In the interview came out and glanced at his notebook Igarashi art, cutting-edge artists from Australia, went … Continue reading
動物化についてのメモ
先日行われた北田暁大氏の講演会のレジュメ、およびメモを某所から入手。それだけで判断するのは軽率だが、どうやら僕の動物化論が話題になったのは間違いないようだ。光栄である。というか、ぜひ聴きに行きたかった。 ところで、動物化という言葉は、「最近若者がバカになってる」とかいったありがちのイメージ論ではなく、僕としては、いちおう、僕なりの(この「僕 なり」にたいへんな問題がある、というのは横におくとして)解釈に基づく思想的な文脈を押さえて提出している。『動物化するポストモダン』ではアレクサン ドル・コジェーヴ、「情報自由論」ではハンナ・アレントがその主な参照項だが、それだけではない。実はもうひとつ、僕にとってきわめて印象深い動物論とし て、ジャック・デリダのハイデガー批判(『精神について』収録)というのがあるのだ。そのむかし僕は、「想像界と動物的通路」というタイトルで学術論文を 東京大学出版会の論文集に寄せたことがあり(なんか遠いなあ……)、実は僕が「動物」という言葉を哲学的に使い始めたのはそれが始めてなのだった。『存在 論的……』にはまだ「動物」は出てこないはず。「情報自由論」に続く匿名性やネットワークからの切断の問題は、「誤配」という言葉で繰り返し出てくるのだ けど。 コジェーヴの「動物」は、近代=人間の時代の終焉後の消費社会に生きる人々を形容する言葉。アレントの「動物」も、また、actionやworkか ら阻害され、労働=消費の流通回路のなかに幽閉された人々を指している。ではデリダの「動物」と、コジェーヴやアレントの動物とのあいだにどんな関係があ るのか? これはちょっと長くなりそうなので、それこそ波状言論の連載でときどき語ってみようかなどとも思うのだが、ひとことだけ言っておけば、そこでデリダ は、現存在=人間の哲学は、精緻になればなるほど、動物の観念を疎外していく、つまりは、動物の観念は否定神学の外部にある、と述べていたのである。人間 はハイデガーやラカンにつねに魅了されるが、動物は魅了されない。ポストモダンの消費社会は、そういう点でも動物的なのだ。そして、それは、バカになって いる、というのとは少し違う。 Resume the lecture by Mr. Kitada’s recent large-dawn, and get notes from somewhere. To judge, but it just careless, the animals were talking about my … Continue reading
ごあいさつ
を休止して約半月、ひそかにブログの立ち上げを模索していました。それとともに、サーバも慣れ親しんだリムネットから某所に移転しました。リムはい ろいろ多機能で気に入っていたのですが(さらに言えば僕が使っていたFTPサーバはasuka.t3.rim.or.jpという名前で、エヴァ直後にリム に加入した僕は何か運命のようなものを感じていたのですが)、ここなどで指摘されているとおりリムのサーバではMovableTypeを設置するのは無理らしい(!)ということで、これを機にサイトごと安いレンタルサーバに移転しました。これからはこちらをよろしくお願いします。 あと、このblogの運営方針ですが、横にも書いたとおりコメントは原則歓迎です。しかし、はてなでの経験で懲りたので、発言に関係ないコメントや 荒らしはさくさく削除する方針で行きます。また、出張などでメンテナンスが出来ない場合には、荒らし対策として、ブログのディレクトリ全体にパスをかけて いくかもしれません。それでも面倒くさくなってきたら、コメント欄の公開はやめて、トラックバックだけで運用することも考えています。ただ、トラックバッ クにしても削除することはありえますので、いずれにしろ完全にオープンなわけではありません。それに、MovableTypeだと、はてなと異なってエン トリーごとにコメントを受け付けたり受け付けなかったりできるので、そういうコントロールもしていくと思います。 僕が愛着のあったはてなからブログに移行しようと思ったのには、複数の理由があります。たとえばはてなのいいところとして、コメントが下にズラズラ 並ぶtDiaryの方式があります。あれはコミュニティ感の盛り上げには欠かせないのですが、しかし目立ちたいだけの無駄なコメントを呼び寄せるものでも ある。このMTではトップからコメントが見えないようになっている(「最近のコメント」欄もあえて作っていない)ので、そこは抑制されることでしょう。 もうひとつの理由は、トラックバックのシステムです。コメントは受け付けないけど、だれでもどこかで批判を書くことはできて、URLを送ることはで きるというのであれば、まあ「開かれている」と言えなくもない(ブログをもってないと反論できない、とか言われそうだけど、それならこのページそのものが PCもってないと閲覧できないわけでキリがない)。最初からトラックバックのみ受け付けるシステムで運営することも考えたのですが、それはさすがに寂しい ので、とりあえずコメントは受け付けます。とはいえ、今回はあまり頻繁にはレスを返さないかもしれません。そんなものなのだ、と思ってください。 というわけで、今後ともよろしくお願いします