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渦状言論へようこそ。

ここは、批評家・東浩紀が運営するブログです。東浩紀の経歴や業績については、hiroki azuma portalをご覧ください。

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批評の書き方実践編

風の便りに、東浩紀スレッドが哲学版からサブカル板へと移ったと聞いた東浩紀です。このまま流浪のスレッドになるといいのではないかと思います。

さて、来年の1月に、朝日カルチャーセンターで下記のような講座を行います(じつはこれ以外にももうひとつ講座があるのですが、そっちはとくに紹介する必要はないでしょう)。

http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=35284&userflg=0

講座概要のとおり、完全に実践的な講義です。段落はこのぐらいの長さで切ろうとか、マイナーな固有名を出すときにはこういうテクニックを使おうとか、「だ」と「である」はこういうふうに使い分けると効果的だとか、そういう話をしようと思います。文章講座といっても、批評文の歴史がどうとか、三島と谷崎の『文章読本』を較べるとこうとか、そういう話はまったくしないので、なにも期待しないでください(笑)。単純に、東浩紀という批評家の文章の書き方を、みなさんに教えようというだけの頭の悪い講座です。

めずらしい機会だとは思いますので、ご興味があるかたはぜひ。ちょっと値段が高いのが難点ですが。

いちおう自分の文章を添削することにしていますが、可能なら、生徒さんの批評文の添削をしてみたいところです。授業のその場でみんなの前で添削されたいという豪気なかたがいたら、朝日カルチャーセンターに申し出てみてください。


ゼロアカ

東浩紀です。

ゼロアカについてあれこれ言いたいほうだい言われて、いささか神経症気味になってきました。あまり寝れません。2ちゃんねるの東スレも見ていますが、ちょっとこれはひどい。まあいまさらですが。

いちおう事実だけ述べておくと、形而上学女郎館とフランス乞食を買ったのは、太田さんの了解をとってのことで、あそこで太田さんがぼくを派手に止めていたのは演出、というかボケです。あんなことを、了解を取らないでするわけがありません。

あと、坂上秋成、斎藤ミツだけを上に上げたのは、同人誌への貢献度だけではなく、坂上さんと山田さん、斎藤さんと文尾さんの文章を読み比べれば理由は明らかではないかと思います。同人誌への貢献度については、個人的に確認を取っています。そもそも(道場破りの山田さんは知りませんが)、文尾さんは、評論にはあまり興味がないことをブログでも告白している。10000部でデビューさせるのは難しいでしょう。

それから、なんか面倒になってきたのでぶっちゃけて言うと、ぼくが現時点で最終通過者としてもっとも有力だと思っているのは、やずや、峰尾の2人です。つぎに村上、三ツ野、坂上。村上は同人誌のFate論も元長への手紙もよかった。斜に構えたところがなくなれば伸びるでしょう。三ツ野は今回の同人誌を読んで一皮剥けた感じがした。坂上はオーソドックスすぎるけど可能性がある。この3人はいずれも、自分の殻を自分で壊せていない感じがします。そこが越えられれば、いいものを書くでしょう。やずやはエッセイ志向だし、峰尾は自分の世界しか見えていないので、村上・三ツ野・坂上のいずれかが第5次で傑出したところを見せれば、ぼくはそちらを一押しにして最終関門に臨むつもりです。

雑賀・筑井組は今回たいへん期待していたのですが、百合特集は表層的で心に響いてきませんでした。正直、「女の子」を売りにしようとしたあまり、ぬるい内容にしかなっていなかったと思います。百合のイメージとしての紹介になっているだけで、分析がない。これでは評論系同人誌ではない。少しは論考もほしかった(雑賀のは論考の名に値しない)。斎藤さんは真面目で教養もあるけれど、今回の同人誌では、腐女子による腐女子のための批評しか考えていない。別にそれを否定するわけではないけれど、そのスタンスはゼロアカ道場にはそぐわない。立ち位置が変わらなければ、次回は落とすことになるでしょう。

そもそもこの企画、ぼくが趣味でやっているものではない。時間点の導入にしろなんにしろ、全部講談社と協議して決めているし、全体の盛り上げのためにとても頭を使っている。門下生にもめちゃめちゃ気をつかっている。懇親会だって、正直、ぼくはとても疲れていて、スタッフだけでゆっくりと飲んで癒されたかったのだけど、それだと盛り上がらないからバカみたいにテンションをあげているわけです。それなのに、どうしてぼくばかりが非難されるのか。そしてなんでぼくひとりが、このブログで対応し続けなければならないのか。しかも、あちらこちらに気をつかって。

このままでは、ぼくは潰れるような予感がします。

もともとぼくの仕事のなかで、ゼロアカは小さな一部にすぎない。とりあえず、このブログでは、しばらくゼロアカについての話題は行わないことにします。あと、ゼロアカについて抗議があるかたは、講談社BOXまでお願いします。門下生も含め。


文学フリマ追記

東浩紀です。もろもろ仕事が溜まってクビが回らない状況になっています。

文学フリマについて「講評まだー」との声を多数頂いていますが、正直、けっこう時間が経ってからの発表になると思います。なんといっても、分量が多いし、ぼくも疲れている。ゼロアカの準備で、ぼくもいままでかなりリソースをつぎこんできました。ゼロアカだけで生活しているわけではないので、少しは他の仕事もさせてください。

ご理解をよろしくお願いいたします。

……なのですが、下記のエントリには答える必要があるでしょう。参加者のひとりから、ふたたび批判を頂きました。

http://d.hatena.ne.jp/boilednepenthes/20081112/p2


文尾さんが言いたいことは心情的にはわかります。ただ、あのときの状況を正確に思い出してほしい。そもそもぼくと太田さんは、当日急遽「時間点」を導入していた。では、それによって圧倒的に有利になったのはだれなのか。じつはそれが、文尾さん・斎藤さんのコンビだったのです。もし突然の時間点導入がなければ、文尾さんたちは5位確定で、完売しても形而上学女郎館、フランス乞食には審査点で適わなかったはずです(正確には、腐女子が完売しても、形而上学女郎館なら456冊、フランス乞食なら461冊売れればダメでした)。

ぼくがあのとき、形而上学女郎館とフランス乞食の2冊を買ったのは、ひとことで言えば、時間点導入が引き起こしたそのアンバランスに対して、逆のバランスをとるためでした。もう少し細かく記せば、ぼくの発想の順番はこんな感じです。

ぼくたちはまず時間点を導入した。あまりに観客の数が多いので、そうしないと企画の主旨(観客の支持を考慮する)に反したからです。新ルールのおかげで、文尾さんたちにも当選の可能性が出てきた。そして実際に腐女子チームは完売となった。形而上学女郎館とフランス乞食がそれを追随し、場も盛り上がってきた。ここまではよかった。しかし同時に、時間は残り一時間を切り、ブース周辺も様子見のひとが多くなってきた。これはまずくなってきた。なぜなら、旧ルールの前提にあったのがどのチームも完売しないことだったとしたら、今度は時間点導入の前提にあったのは、午前中のような売り上げの速度が維持され、どんどん完売が出ることだったからです。ところがその点ではまた状況が変わってきた。ではどうするか。このままでは、新ルールがあまりに形而上学女郎館に不利に働いてしまう。彼女たちも完売するからこその、時間点勝負だったはずだ。そこでぼくは、場を再活性化し、全体の売り上げを加速し、ふたたび通過者を運命の手に委ねるために、形而上学女郎館をパフォーマンスとして一冊買うことにした。同時に、形而上学女郎館とフランス乞食はもともと5点差なので、彼らは同等に扱うべきだと考え、フランス乞食も買った。

決戦の現場でのこのようなルール変更、道場主本人による場への介入が、挑戦者のあいだに不信感を呼ぶことは理解しています。しかし、ではあのとき(じつは結果として、時間点を加算しない場合と大して変わらない順位にはなっているのですが)、時間点を加算せず、「はい、腐女子売れましたか、でも東・太田点が低いからダメですね」でよかったのかといえば、やはりそうは思えない。むろん、主催者側としてはそのまま放置がもっともリスクが低い選択(ルールはルールだから!の一点張り)なのですが、ぼくたちはリスクが高くてもみんながもりあがれる、おもしろい企画を望んでいる。だからぼくは新ルールを作った。しかし、今度はそれによって特定のチームが不利になった。ではそれはそれでいいのかといえば、やはりそうも思えない(たぶんそうしたら、筑井さんと雑賀さんが文尾さん以上に不満をもったでしょう)。だから個別に調整した。しかし、そういう調整は、事前の同意なしに勘で行われるしかないので、誤解も生みやすい。そういうことだったのです。

これで納得してくれると嬉しいのですが。

まあ、該当エントリを見るかぎり、文尾さんもそれほど真剣には文句を言っているわけではないのかもしれません。

もしそうだとしたら、このエントリはネタにマジレスということで、スルーしてくださいw。

ただひとつ、それでもこれだけは指摘させてほしいのですが、あのぼくの行為に文尾さんたちを落としたいという意図を見るのは、やっぱり不合理です。なぜなら、もしぼくにそんな意図があるのなら、ぼくはそもそも、あんなパフォーマンスをする必要などなく、単純に時間点を導入しなければよかっただけのことだからです。

時間点を導入する時点で、それが形而上学女郎館に不利に、腐女子チームに有利に働くことは明らかでした。それはすぐわかることです。でもぼくはそれを導入した。その意味を考えてほしい。そうでないと、ぼくもちょっと悲しいです。

いずれにせよ、ゼロアカ道場で道場主として「公正である」ことは、あるいは少なくとも「公正であるように見せる」ことは、回が進み、みなさんと人間的にも交流が深まるにつれて、ますます難しくなっています。みんなに平等に接する、といったって、ぼく自身が審査員なのだから平等に接していてどうする、という感じがするし、おまけに全体の場も盛り上げなければならない。季節柄大学受験に喩えれば、いわばぼくはこの場で、予備校の教師と試験監督と採点者の3役を同時に任されているのであり、これは原理的にひとりでこなすには不可能な役回りのような気がします。にもかかわらず、ゼロアカ道場は、この文フリをきっかけにまたいちだんと注目を集めている。となると、今後、ゼロアカ道場に対しては、やっかみを含めさまざまな批判や非難が来るでしょう。

ぼく個人は、そういう反応には慣れています。けれども、できれば、門下生のみなさんには、それでもぼくがそんなに変なことをしていないことだけは信じてほしい。それはぼくの願いです。


文フリ感謝/1/28思想地図シンポ

おはようございます。文フリの嵐の一日が終わり、翌日熱を出してしまった東浩紀です。まだ熱があります。喉が痛くて声もまともに出ません。

思えば、10月19日の早稲田文学10時間連続シンポジウムから始まり、25日、26日のザ☆ネットスター!秋葉原祭り、そして一昨日の文学フリマと、ここのところお祭りが続きすぎました。さすがにぼくも若くないので、身体のあちこちに限界が来つつあります。

さて、その文学フリマ、たいへんな盛り上がりでした。

最終的な集計の公式発表はまだなのですが、全8チームのうち5チームが500冊完売で、平均でおそらく450冊以上売れたのではないかと思います(ここに速報があります)。参加者全員がほぼ無名で、販売時間が5時間しかないことを考えれば、これは奇跡のような集客です。

この数にはぼくも太田さんも驚きました。あまりにも客が多かったので、来場されたかたならご存知のように、採点方法や合格者数を変えなければならなかったぐらいです。

いまだから言いますが、太田さんは事前には、全チーム中マックスで200部ぐらいしか売れないだろうという意見でした。ぼくはそれより多少多かったのですが、それでも完売はないだろうと考えていた。つまりは、そもそも今回の採点方法は、500部の完売がないことを前提としていたわけです。だから、完売チームが5つも出て、あとは太田点と東点の合計だけで決まるのは主旨に反する。そこで、すでにあちこちでルポされているように、「時間点」の導入に加え、合格者を増やすことになりました。その判断について2ちゃんねるではやたらと非難されていますが、4位チームからひとりづつ選んだ人選を含め、ぼくは自分の判断には自信をもっています。点数や通過者の詳細については、そのうち公式サイトでも告知が出ることでしょう。

いずれにせよ、ゼロアカ道場はじつはまだ第4回。次回の第5関門で急に盛り下がらないように、がんばらねばならないですね。

いろいろ書きたいことはあるのですが、ぼくはじつはこれから、明後日締め切りで「パンドラ」用に総括原稿を書かねばならないので、それとネタが被るとアレなのでここでは控えておきますw。

とにもかくにも、門下生のみなさん、道場破りのみなさん、そして文学フリマのスタッフのみなさん、ご苦労さまでした! あと、主催者側として内輪に感謝することになってしまうのかもしれないけど、講談社BOXのスタッフのみなさんも、本当によくやってくれました。

みなさん、本当にありがとう。

なお、一部で話題の藤田直哉揉み上げ断髪式動画(撮影:濱野智史)は、このブログの公開のあと関係者に送るので、そのうちだれかがニコ動に投稿すると思いますw。

といったとこころで、今回の本題。

標題のとおり、来年の1月28日水曜日夜、東工大大岡山キャンパス講堂で『思想地図』のシンポジウムを行います。

テーマは「アーキテクチャと批判的言語の可能性」。パネリストは、磯崎新、浅田彰、宮台真司、宇野常寛、濱野智史、東浩紀(司会)。

シンポジウム冒頭で、宇野さんと濱野さんに15分づつレクチャーをしてもらい、それを叩き台に、社会設計としてのアーキテクチャ、ネットのアーキテクチャ、そして文字どおり「建築」のアーキテクチャの3つの領域が重なるところで議論を進める予定です。

このシンポジウムは、来年4月あるいは5月発売の『思想地図』第3号に掲載されます。特集は「アーキテクチャ」。同号には、このシンポジウム掲載と並行して、北田暁大、東浩紀、あと二人の参加者による座談会「『東京から考える』再考」(仮)も掲載予定です。

そもそも『思想地図』が創刊できたのは、ぼくと北田さんの対談本『東京から考える』が意外と売れたからでした。第3号は、その原点を捉え直す特集でもあります。

いや、原点回帰という意味では、第3号全体はもっと古くまで戻るかもしれません。上記の「アーキテクチャと批判的言語の可能性」というテーマは、ぼくのなかでは、あの10年前の『批評空間』のシンポジウム、「批評の場所はいまどこにあるのか」に繋がっている。コンテンツよりもコミュニケーションが優位で、したがって作品論よりも下部構造分析が優位になってしまう世界において、批評的=批判的思考が生き残るとすればそれはどのような方向においてなのか。それが、今回ぼくが議論したいことです。

いずれにせよ、月末の平日夜という社会人には難しい条件ではありますが、かわりに無料なので、1月28日はぜひご来場ください。よろしくお願いいたします。

といったところで、告知は終わりです。

なんか、本題のほうがあっさりしていますが、『思想地図』は別にブログでおもしろおかしくもりあげるようなものでもないので、こんなもんで十分でしょうw。

シンポジウムの人選の意図は、わかるひとにはわかるはずです。ぼくとしては、磯崎さん、浅田さん、宮台さんのご3方に出席を快諾いただけたのは、個人的にとても感謝しています。あとは、司会として、ただの世代対立や論壇プロレスではないおもしろい議論にできるかどうか、ぼくの腕の見せどころですね。

追記。

書き忘れていました。

文学フリマ、ぼくの友人もたくさん出店していて、本当はいろいろなところに挨拶にでかけようと思っていたのだけど、当日はつぎつぎに来客は来るわ、太田さんと密談しなければならないわ、取材は来るわで、結局まったく他のブースを回れませんでした。ゼロアカが文フリ参加者のみなさんにあるていど迷惑をかけているのは確かなので、そのお詫びもかねて回らなければならなかったのですが、すみません。それだけ心残りです。

というかそもそも、ぼくはあの日、他のブースを回るどころか、朝食も昼食もまったく食べる暇がなくて、懇親会でもフードのテーブルに近づくことすらできず、ようやくものを口にできたのは夜10時過ぎ、二次会だか三次会だかでの焼きそばがはじめてでした。翌日、高熱が出たのも当然です。倒れなかったのがふしぎなくらいです。懇親会でも、なにを話してだれに紹介されていたのか、かなり記憶が混然としています。

とにかく、すごい熱狂でした。

あらためて、あのお祭りに参加したみなさん、お疲れさまでした。そしてありがとう。


山本寛氏と対談(追記あり)

こんにちは。和解イヤーの流れは止まるところを知らず、5年ぶりに村上隆氏よりメールが来たり、7年ぶりに岡崎乾二郎氏と再会したりしている東浩紀です。

ほんと、阿部くんが言ったとおり、ぼくは死ぬのかもしれません。というか、天がそう言っている感じがします。不気味です。

さて、ザ☆ネットスターの反省会でさんざん番組批判をしてクビになりかけたり、ついにゼロアカ/文学フリマ前日を迎えたりといろいろ語ることはあるのですが、今回はちょっと別の話を。

NEC_0163.JPG

上記写真のように、一昨日の木曜日、アニメ監督の山本寛氏と対談をしてきました。『アニメージュ・オリジナル』の次号に掲載される予定です。

山本さんは『涼宮ハルヒの憂鬱』の演出と『らき☆すた』(4話まで)の監督でいちやく有名になったかたで、アニメには批評が足りない、と随所で熱く語っているめずらしい監督さんです。というわけで、当日も(『かんなぎ』や『らき☆すた』の話もありつつも)、なぜアニメには批評がないのか、あるいは少なくとも、なぜ内部からそう言われてしまう状況があるのかを、実作者の山本さんと批評家のぼくが双方の立場から分析するようなかたちで対談が行われました。たがいに毒舌ばかりになってしまったので、おそらく掲載時にはほとんどカットなのではないかと思いますがw、楽しい時間を過ごしました。

そして、そんななか、ぼくにとってとくに嬉しかったのは(これもカットされるかもしれませんが)、山本さんが、ぼくがいまから10年以上前、『エヴァンゲリオン』のときに行ったアニメ批評の仕事について、「たいへん刺激をうけた」と言ってくださったことです。

古い読者なら知ってると思いますが、実際にはぼくはそのあと、さまざまなところから「東はアニメがわかってない」と叩かれ、某ライター氏からは、面と向かって「あなたの存在自体迷惑だから、今後オタク関係について語るな」と罵倒されたりすることになります。というわけで、やべえ、この業界まじで怖いわ、と思って、アニメ業界からは微妙に距離をとることにしてきた(そしてその結果、美少女ゲームとかライトノベルについて多く語るようになった)のですが、そんな経験をもつぼくにとって、山本さんのその発言は——むろん、ぼくのアニメについての知識は実際に貧弱なので、山本さんは例外的に好意的なのだと思うのですが——、なんか、むかしの仕事がようやく報われたような気がして、素朴に嬉しくなりました。そうか、読んでくれている関係者もいたのだなあ、と。

帰り際に、山本さんより、「東さん、もういっかいむかしみたいにアニメについて熱く語ってください」と言われて、少々元気も出てきました。実際、ぼくの立ち位置も多少は変わってきたのだし、今後はアニメ(テレビアニメ)について趣味的に語ってもいいのかもしれません。

あ、そうそう>山本監督

ぼくは『涼宮ハルヒの憂鬱』第9話は傑作だと思いますよ! ギミック志向ではない山本さんの魅力は、あそこに十全に現れている。当日、それを言うのを忘れてました。今度、一緒にご飯でも食べましょう。

■■10時間後ぐらいの追記■■

内容が内容だけになんか来るかなと思っていたら、さっそくどこかのサイトで、「東はハルヒについて第9話とか言っても意味がないことを知らないからエヴァでも叩かれたんじゃないでしょうかね」とか嫌みを書かれていました。

あらためて言うまでもなく、ハルヒのアニメは放映とDVDでは収録順が違う。くだんのひとはぼくがそのことすら知らないと考えたようです。しかし、ぼくもむろん、そんなことは知っている(疑うひとはぼくと私的にハルヒの話をしたことがあるひとに聞くとよい)。ぼくとしては、そもそも文脈的に、ぼくが山本氏が監督の回を指しているのは明らかなので、DVDの話数を調べるのも面倒だし、放映時の記憶で話数を記したまでのことです。というわけで、ぼくが指していたのは、「サムデイ……」というタイトルのエピソードでした。キョンが暖房器具取りに行くやつです。

まあ、考えてみれば、確かに不親切、というか、むしろこれくらいのほうが通っぽくっていいのかな、といった変な邪念がありました。すみません。でも、嫌みを書かれるほどのことじゃないと思いますが……w。

さて、そのコメントはどうでもよいのですが、それを見て考えたので追記。

まず大前提として、批評とはなにか。それは、書評や宣伝文とは違います。批評はそれそのもので自律した論理をもっている独自のジャンルです(とくに日本では)。したがって、批評家は批評家で誇りをもって仕事をしているのであって、独自の判断で対象作品やジャンルを選んでいる。裏返せば、いくら作品が好きでも、面倒な作家や読者がいるジャンルには手を出さないことがある。蓮實重彦が映画を選んだのは、彼が映画が好きだったからだけではない。彼の批評にとって、映画が必要で、また(言葉は悪いですが)映画が利用できたからです。創作と批評はそういう共犯関係を結ぶときがある。

したがって、アニメに批評がないのは、アニメへの愛が足りないからだ、とかいうのはきわめて一面的な見方です。そのようなことを言うひとは、批評家の心理について無知すぎる。

ぼくの考えでは、アニメ批評がいまなぜ低調かといえば、知識があるひとがいないとか情熱があるひとがいないとか以前に、そもそもアニメ批評は、読者の(読者の、です。書き手の、ではありません)質があまりに悪すぎて、いま批評を志す人間にとってコストが高いわりにリターンが少ないからです。具体的に言えば、一生懸命なにか考えて書いても、ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する、そしてそれを「見識」だとカンチガイしている読者が多すぎるからです(これは、山本さんも同じことを「妄想ノオト」の出張版で書いていますね)。だから、ほかのジャンルについても批評が書けるひとは、もはやアニメについて批評を書かなくなっている。『思想地図』に『らき☆すた』論を書いた黒瀬さんも、ネットで枝葉末節ばかり突っ込まれていたので、そのあとはすっかり現代美術の世界に戻ってしまいました(ぼくの印象だから本人の意識としては違うかもしれないけど)。そうやって、アニメについてしか書けないひと、語らないひとばかりが、アニメ批評を占有していくことになる。

したがって、もし今後、みなさんがアニメについておもしろい「批評」を読みたいと思うのなら、言いかえれば、多角的なジャンルについて批評が書ける才能をアニメについての批評にひきずりこんでいきたいと思うのならば、まずはこの状況を変えたほうがよい(どうせ批評なんてくだらないんだから、と考えているひとは、むろんこの意見は聞かなくていいんですよ)。アニメ批評が育たないのはなぜか、ライターが既得権益を守っているからだ、編集者が怠慢だからだ、というのはやさしいけれど、本当の原因はぼくはそこにはないと思う。アニメ批評の読者が育っていないことこそが、問題なのです。批評というだけでヒステリーを起こし、くだらない揚げ足取りをするひとばかりが目立つのでは、だれもアニメについて批評なんかしなくなるに決まっている。そもそも悪口は褒め言葉より目立つものです。アニメについてなにか新しく書こうと思ったとき、そのひとが信じられる読者がどれくらいいるのか。アニメ批評の未来はそこにかかっているのではないでしょうか。

ま、これはアニメ批評以外にも言えることではあるのですが……。

というわけで、山本さんの情熱にほだされてしまったのか、ひさしぶりにフレーミングを起こしそうなエントリーを上げてしまいましたw。

こういう話題についての「議論」は経験的に不毛なだけなので、ぼくは今後、この話題を続けるつもりはありません。書きっぱなしですみませんが、とにもかくにも、ぼくはそんなふうに思っているということです。

蛇足まで。


ゼロアカに抗議が来ました

ゼロアカ門下生の筑井真奈さんより抗議が来ました。

http://d.hatena.ne.jp/metaphysical_jyoroukan/20081105/1225916717

本当は答えないほうが(場の盛り上がり的に、道場主的に、そして筑井さんに対しても)よいのかもしれませんが、まじめに抗議されているようなのでまじめにお答えします。

先日のエントリでも匂わせたように、ぼくはすでに、すべての同人誌に目を通し、採点を終えています。

そして、その採点をいつ発表するかについては、本来は(=企画意図の本質としては)自由です。文フリでの盛り上がりを考えて、当日朝発表ということにしてありますが(あ、そういえば、太田さんとも完全にたがいに相談なしで採点することに決めました)、本来はいまここで発表してしまってもよい。

ぼくが、道場主としてだれを推しているのか明確にしてはならなかった、というよりもできなかったのは、採点対象である同人誌が出てくるまえまでの話です。しかし、同人誌を読み、採点を終えたいま、ぼくはむしろ、だれを高く評価しているのか、発表してもかまわない。いやむしろ、点数発表を当日まで引き延ばすほうが、門下生と道場破りに過大な心理的負担をかけるし、どんどん邪念も増えてくるので(まさにこの抗議問題のように)やめるべきかもしれないぐらいです。だって、同人誌の内容そのものへの採点はすでに終わっているんだし。そして、その採点のうえでも、最終的な結果が見えないことそのものは変わらないのだし。

というわけで、要点を言えば、ぼくが最終批評神話のustに現れたのは、別に単に峰尾氏と話があうから、つまり肝心の同人誌の内容に関係なく「贔屓」したということではなく、ぼくが彼らの同人誌について採点を終えたからです。だからといって、単純にぼくが彼らを評価していることにはならない。そこの解釈は任せますが、あとで「なんで彼らのだけ降臨したのか」と問われたら、「それはこういう採点だったから」と言えるくらいには、考えて行動しています。つまりは、この数日のぼくの行動は、全部採点のうえでのものだということです。確かにその行動で文フリでの売り上げは左右されるかもしれませんが、それは当日朝の発表でも同じことです。

だから、もし筑井さんの抗議が、「まだ結果は見えないのに、東さんの判断を公にするのはやめてくれ」というものなのだとすれば、「いや、東採点はもう決まっているので、そのかぎりではぼくも行動を制約しなくてよいのだ、それを見て文フリでどう売れるかはわからないけど」というのが、ぼくの答えです。

ということで、ご了解いただければ、と思います。

ただ、それとはまったく別のレベルで応答しておけば、筑井さんの抗議は、いままでのゼロアカのノリ(そして筑井さん自身のニコニコ動画などでのノリ)からしていささか唐突かもな、とは思います。

というのも、筑波ust(これはぼくは旅行中で見れなかった)→女郎館ust(潜伏して観察を試してみた)→最終批評神話ust(降臨してみた)は、ある意味で自然な流れではあるし、女郎感ustを覗いていたことをぼくはブログで記してもいる。あのエントリを見て、筑井さんのところこそ「贔屓」されていると感じた門下生はほかにもいるかもしれない。みんな、たがいにそう思っているものです。

あと、ぼくは、おそらく筑井さんやみなさんが思っているよりもはるかに冷淡なので、内容がだめだったら、いくら飲み会で笑い合っていても、あっさり低い点数をつけますよ。その逆もしかりで、だから今回の採点では、怒るひともいると思います。

いずれにせよ、門下生も道場破りもいまはみな、ピリピリしているということでしょう。あと3日間、ぼくもだんだん比喩じゃなくて胃が痛くなってきており、今週はぜんぜん仕事も手に着かないのですが、なんとか乗り切りましょう……。


濱野論文/思想地図次号と次次号

こんばんは。ゼロアカ挑戦者のUstreamが80人も視聴者を集めたことに、多少驚いている東浩紀です。東スレの住人ってそんなにいたんだ……。

ちなみに、そのustでazuma名でチャットに加わっていたのはぼくではありません。チキさんが現れたときには、ぼくも思わず「シノドスください」って打ち込みかけたけどな!w

多くのひとにはさっぱりわからない冗談ですみません。

さて、そんな夜を過ごしているぼくですが、ustチャットを見てにやにやしているだけではありません。『思想地図』の準備も粛々と進んでいます。

次号の特集は「ジェネレーション」。第二特集が「ソシオフィジックスは可能か」。両者は密接に関わっている(もともとはひとつの特集だった)のですが、内容的に二つに分けて構成してあります。12月出版予定です。

それで、その第二特集では、濱野智史さんと西田亮介さん、それに鈴木健さんに論考を寄せて貰っています。3人いずれも興味深い論文を寄せてもらって(とくに鈴木さんには多忙ななか書いていただいて)責任編集として嬉しいかぎりなのですが、とくになかでも、濱野さんの論文は力作です。

じつはぼくは、濱野さんがその論文を上げてきたころ、ちょうど彼が出版したばかりで、ぼく自身も帯を寄せている新著『アーキテクチャの生態系』の紹介をしようと、このブログでエントリを準備していたところでした。しかし、その論文を一読し、こりゃあこっちのほうがすごいぞ!とか思ってただちに紹介を止めてしまったw。……というのは冗談としても、たださっくりと本を紹介する、なんてことができなくなったのは本当で、『アーキテクチャの生態系』が幅広い読者に向けて書かれた一般書(を偽装した書物)だとしたら、『思想地図』の論文のほうは、同世代の福嶋さんの連載などもかなり意識したうえで、彼自身の思想や社会観がかなりはっきりと打ち出されたコアなテクストにしあがっている。このブログの読者であれば、たいてい『アーキテクチャの生態系』は読んでいると思うのですが(そうでないひとはただちに読むのをお勧めします、いい本です)、そのつぎにはぜひ『思想地図』次号の濱野論文を読んでみてください。二つ続けて読むことで、濱野さんのヴィジョンが見えてきます。

ぼく自身の個人的な感想としては、この濱野論文を読んで、『動物化するポストモダン』でぼくが「萌え要素」と呼ぼうとしていたもの(最近の福嶋さんがおそらく「神話素」とか「演算子」とかいう言葉で一般化しようとしているもの)が、ニコニコ動画上の「タグ」の問題として捉えれば、きわめて具体的、かつクリアに論じることができるのだということがわかり、それはとても大きな収穫でした。そもそもあの本については、「データベース消費」というところばかり注目されて(そして動物化したオタクはデータベースに規定されている、といった受動的な消費者像ばかりが注目されて)、そのデータベースから萌え要素を通じてシミュラークルが生成していく、その生成のところで「解離的人間」が生きることになるんだ、という主張のほうはほとんど読まれていない。その文脈において、この濱野論文は、『動物化するポストモダン』に対して、いままでに書かれたもっともすぐれた註釈のひとつになっていると思います(誤解を避けるために付け加えれば、濱野論文は別に『動ポモ』論ではありません、結果的にということです)。少なくとも、『動ポモ』の著者としてはそう感じました。

こんなふうに書くと、また宇野さんが「東は劣化コピーを褒めて終わってる」とかいいそうですがw、とにもかくにも、濱野くんの仕事がすぐれていた、少なくともぼくとしてはそう感じたのだからしかたがない。まあ、そういうことです。

あともうひとつ。

その『思想地図』なのですが、じつは次次号(第3号)より、編集体制が多少変わります。詳細は正式な告知を待って欲しいのですが(といっても、思想地図ってウェブサイトがあるわけでもない、古いタイプの出版なので、どこで告知がされるのかぼくもよくわからんのですが)、発刊頻度があがり、各巻のページ数が減り、そして北田さんとぼくが交替で各巻のメインの責任編集を務めることになります。つまりは、『思想地図』東編集号と北田編集号を交替で作って、少しスピードアップを図ろうという目論見なわけです。

第3号の担当はぼくです。おそらく2009年の4月か5月に出版されることになります。

それで、まさにいま3号の目次を思案中なのですが、特集は「アーキテクチャ」にしようかと考えています。ネットのアーキテクチャ、社会設計のアーキテクチャ、そして文字どおり「建築」のアーキテクチャの3つが交差する地点で、論者を集めてみようということです。

そして、その特集と関連して、昨年と同じく、来年1月には東工大でのシンポジウム開催を予定しています。そちらのテーマは「アーキテクチャと批評的言語の可能性」(仮)です。まだ日程が確定していないので発表できないのですが、昨年とは違った意味で「おお?! そう来たか!」と思わせるパネリストを用意しています。そちらもご期待ください。

といったところで、ゼロアカとかネットスターとかばっかりやってるわけじゃないんだぞ!というアピールのエントリーでしたw。

いや、むろん、ゼロアカもネットスターも楽しみまくっているわけですけどね……。


11/15トークショー

イベントの告知です。

ネット的にはガン無視されていますが、ぼくはじつはいま「新潮」で「ファントム、クォンタム」という長編小説を連載していて(次号も掲載されます、次号でたぶん全体の半分ぐらいです)、それは『キャラクターズ』のようなメタ私小説とは異なった、いわゆる普通の小説です。

ではそんな小説をなぜ書いているのか。ぼくはいままで、よちよち歩きでまだ無名の新人に過ぎないシャイな小説家・東浩紀が、なんか妙に強面でドスの効いた調子のいい批評家・東浩紀に潰されるのが嫌で、公的な場でも私的な飲み会でも小説の話題を振られると断固ごまかし続けていたのですが、下記のトークショーでは、こっそりとそんな二重人格を統合してみようかと思います。市川さんのまえならば、ぼくも恥ずかしがらずになにか話せるかもしれません。

そのころには、ゼロアカ祭りも終わって、ぼくのまわりも落ち着きを取り戻していることでしょう。関心のあるかたはご来場ください。

東浩紀×市川真人トークショー
小説的批評/批評的小説の可能性
——『キャラクターズ』から早稲田文学新人賞まで

11月15日(土)午後3時〜4時半
ブックファースト新宿店(11月6日オープン)
東京都新宿区西新宿1−7−3 モード学園コクーンタワー1F

ブックファースト新宿店Aゾーンカウンターにて、
整理券を500円で販売します(11月6日より、先着順40名様)。
電話でのご予約はお受けできませんのでご容赦ください。

またトークショー終了後、東浩紀さんと市川真人(前田塁)さんの
著作をお持ちいただいた方を対象にサイン会を行います。
整理券と著作をご持参の上、会場までお越しください。

お問い合わせ先 03−5339−7611(ブックファースト新宿店)


批評とかゼロアカとか成熟とか

こんにちは。『存在論的、郵便的』の出版から10年を迎えた東浩紀です。

いまの読者はだれもあんな本は読んでいないだろう、と思いきや、東スレではしっかり10周年記念読書会が行われていたりして、微妙に安心しています。とはいえ、しょせんは東スレなので自然消滅しましたが……。

さて、そんなゼロアカですが、11月9日についに第四回関門決戦が文学フリマ会場で行われます。

その第四回関門、門下生・道場破りあわせて8冊の同人誌がようやく手元に揃いました。そしてほぼ目を通しました。

まえにも書きましたが、今回、採点基準についてはおそろしく悩みました。第三回までは単純に合否を判定すればよかったのですが、今回は、彼らのこの数ヶ月の苦しみと意気込みを肌で感じてしまっている。冗談ではなく、この合否で人生が変わるひともいるでしょう。そう淡々と採点することはできない。正直、選考がこんなに苦痛になるとは思っていませんでした。逃げ出したいくらいです。

だからいろいろと思い悩みました。邪念もいろいろ聞こえてきました。第五回のこと、最終的な出版のことを考えるとこのチームは外せないのではないかとか、このひとにインタビューしている以上失礼はできないんではないかとか、男女比を考えるべきではないかとか、このチームを推すとあまりに意外感がないから逆張りでむしろ点数を抑えるべきではないかとか、そのほかもろもろ、もろもろです。

しかし、最終的には、それらをすべての配慮を忘れて、純粋に、東浩紀という<個人>が<読者>として対象の同人誌から刺激を受けたかどうか、それだけで採点を行うことにしました。批評の未来とか、全体のバランスとかはとりあえず忘れて、ぼくの趣味だけで判断します。

そう決めました。

ここからさきは、ちょっとだけゼロアカとは関係ない話、というか私的な話です。

多くの読者がなんとなく気づいていると思うのですが、1年ぐらいまえから、東浩紀という批評家の位置はかなり急速に変わっています。それは、ひとことでいえば、業界最若手で、半人前扱いで、一部で注目されているものの基本無視されるよそ者だった状態から、むしろ批評業界の中心で、次世代を担うグループのリーダーとさえ見なされるような状態への変化です。「和解イヤー」なんて冗談が成立し、実際につぎつぎと和解が成立しているのは、その位置移動のおかげにほかなりません。

正直、この変化の原因は、ぼくにはよくわかりません。ぼくはそのあいだに賞を取ったわけでもないし、ベストセラーを出版したわけでもないからです。こういうのが時代の潮目というものかもしれないし、じつはすべてがぼくのカンチガイなのかもしれない。とにもかくにも、ぼく個人にはそのような実感があります。

さて、そういう状況には、いい面と悪い面があります。いい面は説明する必要がないとして、悪い面というのは、周囲の風当たりがよくなり、ぼく自身も「成熟」を装えるようになるにしがたい、批評家としての攻撃性や先鋭性も確実に落ちていく、そんな効果です。

具体的にゼロアカに即していえば、こういうことです。以前のぼくならば、「東浩紀のゼロアカ道場」と冠している以上、自分の好きなものだけをわがままに推した、というかそれしかできなかったはずです。しかし、いまはもっと「空気が読める」ようになっている。また、周囲が「空気が読める東さんに期待している」こともわかるようになってしまっている。だから、そんなところでガチで「こいつは優秀だからよし、こいつはバカだから終了」とか言い出したら、周囲が引くことが理解できる。これはおそらくゼロアカに限らない。もし、ぼくがいま妙に若手批評家/批評家志望者に「やさしい」ように見えるとしたら、それはたぶん、ぼくがそういう諦めを抱えてしまっている、というか、そういう諦めを抱えざるをえない年齢に突入してしまっているからです。

おそらくは、ひとは、こういう心理を「成熟」と呼ぶのでしょう。ぼくはべつに、その成熟を嘆くつもりもないし、逆にそれを過剰に肯定する気もありません。ぼくには、そういう成熟は、良い面も悪い面も含めて避けがたい自然現象のように思えるからです。老化と同じように。

しかし、そんな「成熟した」、すなわち腐りきったぼくでも、ときどき、自分の内部から、なにか批評家としての魂というか、むかしの情熱と興奮の名残みたいなものが戻ってくることがあるわけです。

それは、たいていの場合は、対人的な対抗意識に駆動されるものです。自己批判を込めて言いますが、どうも批評家には、「あいつすげー」というよりも「あいつばかじゃん」と思うときにこそもっとも生き生きする、そういう性質がある(笑)。ぼくの場合、そういう意識の源泉としては、むかしは上の世代への憤りが多かった。しかし、相対的に年長者となったいまでは、むしろ若い世代からの挑発を待っているところがある。つまりは、若い書き手の文章を読んで、、「おいおいなんだよこのバカ、こいつこんなんで一人前のつもりかよ、それならおれの実力見せてやんよ」と、素朴な、というか幼稚な対抗意識が燃え上がり、鼓動が高鳴って思わずキーボードに向かってしまうような経験が、いまのぼくにとっては、とても必要なものになっている。

そしてぼくは、今度のゼロアカ同人誌を読むなかで、意外にも、いくどかそのような経験、あるいはそれに近い刺激を感じました。

それは純粋に「私的」な経験です。だからこのブログを読んで、「え、そんなすごい文章が掲載されているのか」と思っても、肩すかしに終わるかもしれない。そういうフックは、本当に些細なものだったりするからです。しかし、その私的なフックを手放してしまえば、ぼくにはあらゆる基準がなくなってしまう。ぼくはもはや、太田さんと相談して、当日の文フリでの売り上げ点を先読みしたうえで、最終選考で通したいひとのところにそれとなく傾斜配分で点を入れる、ぐらいしかできなくなる。だから今度の関門では、単純に、上述のような刺激を与えてくれる同人誌に高い点数を入れて、そうではないものにはあまり点数を入れないことに決めました。

おそらくはそれは、ゼロアカ道場の全体の盛り上がりとか、批評の未来とかいう全体的な視野とはあまり関係していません。同人誌そのもののクオリティとも関係がないかもしれない。全体として雑誌としてはよくできているけれど、ぼくの点は低いというチームが、申しわけないのですがいくつかあります。そういう点では、今回のぼくの採点はまったく「公的」ではない。きっと、結果発表のあと、「なんだよ、この採点」と思う読者もいるでしょう。

けれども、挑戦者の真剣さをあまりに知っているからこそ、ぼくとしても、今回は公平性を偽装することができなくなった。

そういうことなのです。

なんだか、妙に長い投稿になってしまいした。おまけに情報量ゼロです。告知もなにもしていません。『存在論的』10周年ということもあり、ぼくも少し内省的になっているのかもしれませんね。

では文フリ当日会場で!


ネットスター告知

いまだ締め切りの終わらない東浩紀です。現実逃避のために告知します。

明日、というかすでに本日(25日土曜日)、ザ☆ネットスターの関連ウェブ番組、というか、このブログの読者にはむしろ、<ゼロアカと並んでニコ動での東浩紀タグを占領している動画群>と言ったほうがいいのかもしれませんが、ともかくはその番組、つまりは「柚木涼香と東浩紀の動物化してもいいですか(はあと)」の公開収録が、秋葉原の富士ソフトアキバプラザで行われます。詳しくはここここをご覧ください。

事前申込は終了しているのですが、キャンセル待ちの当日券が出る模様です。空席が出ると寂しいので、どうせ土