以下で紹介されているテクストは、原則として入稿時のデジタルデータから抜粋したものです。出版された文章とは細部が異なる場合がありますので、あくまでも本購入のための参考に止め、引用などはお控えください。
東浩紀「はじめに」より
<……>本書の構成は、二〇〇一年の秋に行われたシンポジウム、「網状言論F」を中心としている。
このシンポジウムの性格を説明するためには、多少ややこしい経緯を記さなければならない。「網状言論」とは、そもそもは、いまから二年前、二〇〇〇年の夏に、東浩紀がインターネット上の個人サイト「hirokiazuma.com」(http://www.hirokiazuma.com/)で企画した仮想討議の名前である。同年春に出版された斎藤環氏の『戦闘美少女の精神分析』(太田出版)は、オタクとセクシュアリティの関係について大胆な仮説を打ち出した著作であり、当時すでに幅広い読者の関心を呼んでいた。そこで編者は、この著作を出発点として、オタク内外の境界を超えてさまざまな立場の論者が集まって自由な論戦が行えたら面白いのではないか、ただしそのような場は既存の雑誌には存在しないから、インターネットを利用して勝手に行ってしまったらどうかと考え、斎藤氏にその旨を提案したのである。
斎藤氏は快諾された。それを受けて、編者は、竹熊健太郎、伊藤剛、永山薫の三氏に声をかけ、斎藤氏と編者のようなともすれば抽象的になりがちな論者の立場に、オタク系文化の最前線で活躍される人々からのナマの声をフィードバックしようと試みた。こうして始まった討議が「網状言論」である。上記サイトではこの討議は「『戦闘美少女の精神分析』をめぐる網状書評」と呼ばれているのだが、いまではみな単に「網状言論」と呼んでいるようなので、本書でもその慣用に従うことにする。
ウェブ版の「網状言論」は、二〇〇〇年七月一一日付の編者の発言に始まり、一〇月二一日付の永山氏の発言まで、全部で二三個の発言が出揃ったところでいちど終了した。全文は上記サイトでいまでも公開されているので、本書の内容に興味を惹かれた方にはぜひ参照していただきたい。ただし、終了とはいうものの、議論が収束し結論が出たわけではない。むしろ実態は逆で、新書一冊分に相当する分量の議論が交わされ、いくつもの刺激的な論点が出てきたにもかかわらず、どうにも話が噛み合わず、いつのまにか発言と発言のあいだが長く空くようになり、尻切れトンボ的に終わってしまったのである。個人サイトの限界があるとはいえ、少なからぬ読者からの手応えも掴んでいただけに、この結末には大きな不満を感じることになった。また、ホスト役として、編者の能力不足を痛感する状況でもあった。
そこでつぎに考えたのが、「網状言論」の討議を引き継ぎ、参加者を一堂に介して行われる公開のシンポジウムである。実はすでに討議終了の時点で、参加者の一部から、メールを介した仮想討議では話が進まない、いちど顔を突きあわせてトークイベントを行うのがよいのではないか、といった提案がなされていた。しかし、ホールを借り、聴衆を集めて行われる公開のイベントとなると、とても個人で運営できるものではない。そのため企画の進行は半年ほど止まってしまっていたのだが、二〇〇一年の春になって、オタク系の大手ポータルサイト「TINAMI」(http://www.tinami.com/)を管理運営する篠田匡弘氏、および同サイト内のウェブマガジン「TINAMIX」(http://www.tinami.com/x/)を編集する佐藤心氏に相談し、TINAMIの広報活動の一環として、この「網状言論」のイベント化をお手伝いいただくことになった。このようにして実現したのが、前述の「網状言論F」である。
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シンポジウムは、正式には「網状言論F――ポスト・エヴァンゲリオンの時代」と題され、二〇〇一年九月一六日、東京池袋メトロポリタンプラザの第一会議室でほぼ三時間にわたって行われた。主宰は、TINAMIの運営母体である株式会社多聞。協賛はアミューズメントメディア学院と株式会社ブロッコリー。パネラーは、ウェブ版網状言論の参加者である五人に、小谷真理氏を新たに招いて六人。小谷氏をゲストとして招いたのは、ウェブ版網状言論がオタク系文化の女性的な側面にあまりに鈍感だったので、その弱点を補足し、同時にフェミニスト的な立場から批判していただくためである。編者はパネラーであり、司会役であり、同時にスタッフのひとりでもある、というかなり複雑な身分での参加となった。
シンポジウムの当日にはさまざまなハプニングが起きた。斎藤氏は音声のみで参加することになった。数日前に起きた米国同時多発テロの影響で、休暇で滞在していたハワイに足止めを喰らって帰国できなくなってしまったのである。前日にこのことを知らされたスタッフは、急遽、国際電話を会場に流すための新たな機材を用意し、壇上に設置する斎藤氏の等身大ポップを製作してくれた。このポップはたいへんよい出来で、スタッフのあいだでは爆笑ものだったのだが、斎藤氏を目当てに来場した観客には不満を与えたことだろう。
スケジュールにも無理があった。当初の予定では、参加者各人が各々一五分の発表、そのあと短い休憩を挟み、一時間の自由討議というプログラムだったが、実際には、熱の入った発表が相次ぎ、討議の時間がほとんど取れなかったのである。そればかりか、大幅に延長したイベントの終了時刻が会場の閉鎖時刻と重なってしまい、ロビーで歓談し、パネラーの著書を購入する観客を追い立てるように撤収を進めねばならなかった。実は、イベントの最後、斎藤氏の等身大ポップをオークションにかけて設営費の一部を回収するという目論見もあったのだが、これもまた実現できなかった。スタッフのひとりとして、これらは反省すべき点である。
にもかかわらず、二〇〇人近い聴衆を集め、デ・ジ・キャラットの着ぐるみ(ブロッコリーの好意でお借りできた)やコスプレ、斎藤氏の等身大ポップなどが出現し、スクリーンにはつぎつぎと奇妙なキャラクターが投影され、司会者である編者が「時間がない、時間がない」とうわごとのようにつぶやくなか、妙に切迫した空気に包まれて進行したこのイベントは、結果的に大きな成功を収めていたのではないか、と思う。少なくともそこには、未完成の混乱はありつつも、学的な言説と現場の実感の境界を超えて、オタク系文化をめぐる新たなスタイルの「批評」が立ち上がるかもしれない、というかすかな、しかし確かな予感が漂っていた――と総括したら、自画自賛になるだろうか。いずれにせよ、編者はそう信じている。<……>