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東浩紀です。

斎藤さんの『戦闘美少女の精神分析』については、7月2日付の読売新聞に書評を書きました[→公開中]。そこにも記したように、まず僕は、今回の斎藤さんの本をきわめて興味深く拝見したことを述べておきたいと思います。一昨年に青土社から出版された『文脈病』もすでに雑多なアイディアが詰め込まれたオモチャ箱のような楽しい書物でしたが、今回の本はその楽しさに加え、「戦闘美少女」というキーワードの導入がきわめて刺激的でした。書評では「この説明が正しいかどうかはともかく」とは書きましたが、僕は実は大筋では斎藤さんの説明が正しいと思いますし、それに何よりも、こと不毛な派閥争いに陥りがちなオタク論の場で、ようやく冷静な議論の足場を見出した喜びはとても大きいものです。

そのことを認めたうえで、僕には大きくつぎの二つの疑問があります。

  1. オタクという共同体の問題――オタクという集団について語るのは有効か?
  2. セクシュアリティの問題――性の問題をどこまで特権化するべきか?

本当はその二つを一気に書き記すべきなのかもしれませんが、議論の進行を考え、まずは最初の疑問から入ることにします。斎藤さんから簡単な回答がいただき、それに参加者のみなさんが絡んでいただければ幸いです。


(1)いま「オタク」という集団は本当にいるのか? そしてその「病理」を論じることはできるのか? というか、そもそもなぜあなたはオタクを特権的に扱ったのか?

この疑問は、上記書評にも記したとおりです。日本のサブカルチャーが分かりやすいいくつかのトライブ(部族)に分かれた時期が80年代にあったことは事実で、それは宮台真司氏の『サブカルチャー神話解体』(石原英樹、大塚英子との共著、パルコ出版、1990年)や『制服少女たちの選択』(講談社、1994年)でフィールドワーク的に研究されているとおりです。そしてその時点では確かに「オタク」という集団は確固たるものとしてあって、その特殊な趣味や外見、行動様式で区別されていたと言える。そしてそれは「新人類」と対のものだった。新人類とオタクがいかに相補的なものだったかは、宮台氏が前二著でかなり熱をいれて論じていますし、そもそも中森明夫氏の存在で目に見えるかたちで実証されています。

しかしとすれば、90年代初頭の新人類スタイルの失墜とともに、典型的なオタク像もまた終わったのだと考えることはできないでしょうか? ここで重要なのが89年の例の宮崎勤事件です。宮台説によれば、「オタクが同世代の新人類によって差別される事態は、89年の事件まで一般には存在しなかった」(『制服少女』p.195)。それまでは新人類的なスタイルとオタク的なスタイルは、ともに文化的先端を担うものとして、一定の距離を取りつつもたがいに敬意を抱き合っていた。しかし宮崎事件がその空気を変えオタクだけを突出して社会的な排除の対象とした、その結果90年代には、新人類的なスタイルが急速に力を失った(別のかたちに移行した)こともあって、オタクの問題ばかりが語られる状況が生まれた、というわけです。

そしてさらに彼の説によると、90年代にはもういちど新人類的なスタイルとオタク的なスタイルは融合を始め、80年代的な純粋な新人類やオタクはいなくなっていく。ここで宮台氏は明確に述べていないのですが、この歴史を整理すると、90年代には「オタク」のイメージそのものが一種の虚構として流通していたと言えると思います。まず83年以前、新人類とオタクの文化以前の「先端的」な若者像があった。つぎに83年から89年にかけ、新人類とオタクが極端に分化し、たがいに牽制しあう時代があった。そしてさらに89年、宮崎事件という強烈なトラウマによって「オタク」はひとつのワイドショー的な人格類型に変わってしまい(大塚英志はこれに一貫して抵抗してきたわけです)、現実のオタクよりも、むしろオタクへの社会的な恐怖や好奇心ばかりが突出する時代が到来する。しかしこの時期にはすでに現実には、オタクの共同体は解体し、新人類の末裔と融合を始めていたわけです。そしてその融合現象が、95年のエヴァ・ブーム以降、オタクと非オタクの入り交じった新しいポップのかたちを作り出していく……。僕はざっとこんなふうに捉えているのですが、斎藤さんの意見はどうでしょうか?

そしてこのような歴史を念頭に置いて『戦闘美少女』を拝見すると、実はそこで提示されている説明図式は、必ずしもオタクにだけ適用されるべきでないもののように思うのです。例えば斎藤さんは「おたくの本質的特徴のひとつは、虚構コンテクストへの高度な親和性である」(p.49)と記すのですが、これは必ずしもオタクの特性とも思えません。というより、それは、70年代以降のありとあらゆるサブカルチャー一般の特性であり、新人類もまたそのような虚構を生きていた人々だったと思います。再三引用しますが、『制服少女』はつぎのように書いています。

ところが、逆説的なことに、そこに浮かびあがっているのは、新人類とオタクの等価性である。現実を<物語>として生きる「対人関係記号派」が新人類だとすると、現実ではなく<物語>に生きる「対人関係退却派」がオタクだという対照性は、たしかに見出される。しかし、この両者は、<物語>=フィクション形成の母体として、<物語>が流通する場としての「メディア」と、<物語>の分化を許容する場としての「高度消費社会」とを、ともに不可欠としている。(p.188)

したがって僕は斎藤さんの問題は、オタクの病理というより、日本のサブカルチャー一般の、あるいは国際的なポストモダン文化一般の特性として問われるべきだったように思えてなりません。「ヒステリーの症状が虚構空間、すなわち視覚的に媒介された空間的に鏡像的に反転したもの」(p.272)というオタク文化の精神分析的な特性――これを僕流に乱暴に言い換えれば、「象徴界の欠如をイメージの操作によって何とか補おうとしたもの」ということになるわけですが(象徴界の欠如という概念を認めるかどうか、というクリティカルな話はちょっと横に置いておきましょう!)、この特徴は、ジジェクも示唆するようにアメリカのサブカルチャーもまた規定しているものではないでしょうか? 

とはいえ確かに、「戦闘美少女」のイメージについては、斎藤さんもおっしゃるように日本で特異に発達を遂げたものだと言うほかありません。したがってそこに何らかの日本性が見え隠れしているのは確実だと思いますし、ここに注目されたのはまさに慧眼だと思います。しかしその日本性は、あくまでもポストモダン文化一般のうえでの日本的特徴なのであって、どこまでが国際的なポストモダン化の現れで、どこからが日本的特徴の現れなのか、その部分の腑分けがかなり重要だと思うのです。しかし僕が第五章の論述を追ったかぎりでは、そこの区別がいささか曖昧なように感じました。

虚構に対する沈潜やヒステリー症状の想像界的な反転については、僕はそれはポストモダン一般の現象だと思います(斎藤さんもご存知のように、僕も『InterCommunication』誌の連載でほとんど同じことを述べています)。しかし、その現象の分析から、一足飛びに「戦闘美少女」のイメージの必然性を導き出すことができるでしょうか? ヒステリーの反転が必ずファリック・ガールを呼び寄せるなら、世界はこれからファリック・ガールに満たされるのでしょうか? ダーガーからオタク論を始めた斎藤さんは、もしかしてそのようにお考えかもしれません。しかし僕はむしろ、ヒステリーの反転が戦闘美少女として結晶化される、そのイメージの選択にこそ日本の特殊な問題が現れているように思うのです。それについてはどのようにお考えでしょうか? そしてまた、アジアについては? 

ひとつの質問のはずが、ずいぶんと長くなってしまいました。そろそろメールも終わらせなければなりません。結局のところ、このように考えてきて疑問に思うのは、なぜ斎藤さんがこの論考を「オタク論」にするベきだと思ったのか、というその理由です。僕の読むかぎり、この論考は決してオタク論でなくてもよかった。というか、そこで検討されているのは実際には、オタクという共同体の問題よりもはるかに広い、サブカルチャー一般の問題です。しかしその本を斎藤さんは、幾度も「自分はおたくではない」というエクスキューズを書き連ねながら、「おたくの『精神病理』」と題された章から書き始めるほかなかった。僕はここに、いかにも90年代的な操作、サブカルチャー一般を「オタク」という曖昧なイメージで代表させ、そこに嫌悪と希望とをともに見出す一種のオリエンタリズムを感じ取ってしまうのですが、これは考えすぎでしょうか?



『戦闘美少女の精神分析』をめぐって

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