発言21

前の発言

次の発言


「人はなぜ、日常と虚構の区分をセクシャリティに持ち込むのか?」という大きな問い、そしてさらに、「コンテクスト性」という大きな話題に突入しようとする今、どのような形で「やおい」の話題について接続しうるのか、いささかのとまどいがあるのですが、現在のところのアイディアをまず提示することにします。無論、先述の大きな話題にも接続可能だと考えているのですが。


「やおい」に関しては、その当事者(作者と読者の双方)のほとんどが女性であることと、ここで考察を加えてる我々が男性であるということがまず、前提にあります。つまり、我々自身は「やおい」という表現、ムーヴメントからは距離を取らざるを得ない。どうしてもそれを外から見るという立場を余儀なくされるということです。

しかし、それでも僕はここ数年、主に「やおい」活動を続ける女性たちとの交際やインタビューをもとに、「やおい」について考察してきました(*)。「やおい」の当事者には、実際には少数のゲイ男性も含まれるのですが、おおむね「やおい」は女性のものという理解でいいでしょう。

*「コミック・ゴン!」ミリオン出版 Vol.4, Vol.5(ともに1999)


ここで、読者の便宜をはかるために、どういったものを論の対象にするかについて、一応の整理をしておきます。一般に「やおい」と呼ばれるものにはそれなりの幅があり、我々が対象とするべき範囲をまず、指し示してやる必要があると考えるからです。

  1. 漫画などの図像表現で表現されたものであること。
  2. 原則的に男性による「オリジナル」を必要とすること。その「オリジナル」は書かれ たものに限らず、芸能人、ミュージシャン、スポーツ選手、政治家などの実際の人間関係 でもよい。
  3. 「オリジナル」の男性同士の関係を男性同性愛に読みかえていること。そこに性的な 描写が入るかどうかは問わない。
  4. 女性の手によるものであること。

もちろん、女性が男性同性愛を描いた恋愛ものや性的表象という意味では、オリジナルのテキストの読みかえという手順を踏まない「オリジナル」のものも数多く存在します。ここでの議論では、そうした「オリジナル」のものも十分に対象にするべきでしょう。むしろ「やおい的なもの」としておおまかに捉えたほうがよいというこおとですね。つまり、ここでいう「範囲」とは厳密な定義ではなく、便宜上、明らかにしておくという程度のことです。

また、やおい活動の当事者である女性たちの間では「やおい」「JUNE」「ボーイズ・ラブ」というカテゴライズがなされていますが、ここではそのカテゴリー分けの存在は認識しつつ、それにはこだわらずに進めるのがよいと思います。


東さんは斎藤さんのやおい認識を以下のように整理し、

ショタ作品ややおい作品においては、図像レベルでのセクシュアリティの記号は少ない、あるいはない。つまり、ショタ作品ややおい作品の読者は、図像に萌えているのではなく、状況設定や物語に萌えているのだ。

さらに、

確かに斎藤さんがおっしゃるように、やおい作品には、ストレートなセックス表現は少ない。そのかわりに、やおいの読者は、物語で自分の性欲を駆動している。これはこれで正しい

としながらも、文字とキャラが渾然一体となったようなレディスコミックの実例を引いて斎藤さんの意見に意義を唱えています。この「実例」はすこぶる面白いもので、ここから別の漫画表現論的な議論を発展させることが可能なのですが、それはとりあえず措きます。

問題はやおいにおいて「萌え」のような性的な欲望を駆動する図像や、その要素が少ないのか、またはないのか? という問いにあるわけですから。


僕は「女性は女性なりに『萌えている』」と考えています。

彼女たちには彼女たちなりの「図像萌え」の要素があり、それは男性のものとは異質かもしれないが、確かに存在するのではないかという考え方です。なるほど、彼女はキャラ相互の関係性に対してひじょうに敏感に反応します。それこそ、お箸と茶碗の間にも「受け/攻め」の関係を見い出せるとまで自嘲的にいわれている程だし、また2ちゃんねるなどでは、「何番発言に萌え〜」とか、「何番発言×何番発言」といった、テキストのほんの小さな断片にすら彼女達は反応しています。たしかに、これだけを見れば「図像は必要ない」といってしまう欲望に駆られるのも無理はないでしょう。

しかしここで、女性達は「位相萌え」と「図像萌え」の両者を有しているが、男性は「位相萌え」を欠いている(または乏しい)とみなすことはできないのでしょうか。斎藤さんの結論は「女性は男性に比べてフェティッシュな欲望に乏しい」という前提に基づいた、いささか論点先取であるとの感が強いのです。

それだけでは不十分なので、実例に沿って議論をすることにしましょう。

まず、キャラ表現において、男性の身体はどのように描かれてきたのか? という問題系が立てられるでしょう。以下は「米倉けんご」という女性漫画家のインタビューの一部です。インタビュアーは永山さんと僕です。

伊藤 (笑)……ちょっと話を戻すと、男の子の体を描くのが楽しくてやってるって感じですか。

米倉 そのままですね。

伊藤 もう、直球?

米倉 はい。足とか……ふくらはぎ! あとは、手なんかももうナヲコさんと有賀史さんの本をみて、この手すごいと思ったまま、そのままですね。

伊藤 わりと関節のはっきりした。

米倉 いや、ショタを描くときとかは、丸まっちい手。手首とかなくて、ずうっとつながってて、指と指がくっつけられないくらいむちっとしたような。これは美少女系が好きな読者のひとも読むんだからっていうサーヴィスのつもりです。

永山 わりと筋肉をはっきり描きますよね。

米倉 ショタ漫画だと、これは美少女系の好きな男性の読者もみるんだからっていうんで、わりと控えめにしてるんですけど、やっぱ高校生くらいの体とか描くのが好きですね。でも、筋肉を描くのも前はテキトウで、自分の腕とかをあげてみて、ここが引っぱられるからここに筋肉があるな、って感じだったんですよ。まるっきりめちゃめちゃなんです(笑)。

永山 腹筋の数が違ってたりとか。

米倉 はい。だから最近なんですよ。写真とか使いだしたのは。

永山 最近になって解剖学的なことが気になりだして来た?

米倉 ちょっと(笑)。ちょっとですよ。写真があると安心できるんです。実際とおんなじならいいやって。あとは、口の描写と手の描写とか好きですね。だから、ベロチューとか、フェラチオとか描くのにはやっぱりこだわりがあって。(後略)

「漫画ホットミルク」 コアマガジン 2000年3月号掲載、一部改編

たしかに彼女の作品はティピカルな「やおい」とはいい難いものです。実際に当事者である女性からも「やおいじゃない」といわれているらしく、また、彼女は商業誌では男性向け美少女漫画を主に発表しています(もちろん、男性向けショタ漫画でも、大きな存在です)。

しかし、では彼女が例外的な存在かというとそうではないでしょう。

まず、彼女が参照項に別の作家の名前を上げていることが、まず事実としてある。そして、彼女がフェティッシュの対象として上げている身体的なパーツが「ふくらはぎ」や「手」であることに注目していただきたいと思います。

また、最近の漫画で『最遊記』という作品があるのですが、この作品の作者、「峰倉かずや」は、自分のことを「筋フェチかも(笑)」とコミッカーズでのインタビューで語っています。好きな形の筋肉を描いてそれに萌えるということですね。この物語は、女の子はほとんど登場せず、男四人で旅をするという、たいへんに「やおい的」なものです。ここで、彼女が好きなものだけを描いて同人誌→漫画連載→アニメ化という展開をたどったということは強調しておいていいと思います。つまり、「やおい」を語る材料としては十分だということです。


さて、ここでまた別の実例を出します。

かつてフリッパーズ・ギターが現役で活動していた頃から、小沢健二と小山田圭吾の二人が登場する「やおい」同人誌は多数、作られてきました。それは現在でもあるのですが(そこで描かれているのが現在の小沢や小山田ではなく、フリッパーズ時代の二人のキャラのままであることが重要なのですが)、そこで「オザケンの後頭、うなじ」に萌える、あるいは「喉のライン」に萌えるということはかなりいわれていました。無論、小沢と小山田の二人の関係性に萌えるという要素があることは事実ですが、それだけではなく、現実の「フリッパーズ」をやおい作家たちがキャラ化していく過程で、身体のパーツのフェティッシュな要素が拡大していったことをいっているわけです。

私見では、そのフェティッシュが現在でも「小沢と小山田」本を再生産させているのではないかと考えています。関係性がフォーマットとして保持されたまま、図像を描く/見る快楽がどんどんドライヴされていくというわけですね。

これは経年変化をきちんと追っているわけではないので、やや自信がないのですが、フリッパーズ本に見る「小沢」「小山田」のキャラクターは年々、(現実の彼等とは逆に)かわいく、若くなっているようにすら見えます。これは何によってドライヴされた変化なのか?


さてここで、僕がフリッパーズやおいを例に出したのには理由があります。

それは、まさにここでこれから話題にされる「コンテクスト性」に関わってくるであろうという予感ゆえのものなのですね。

ここで、「やおい」というものの有り様について、再度、整理したいと思います。

まず、最初のレヴェルとして、「女性の立場・視点から男性同士の関係性を考え、表現する」というレヴェルがある。ここにおいては、やおいは表現手段を選びません。漫画でも、小説でも、なんでもいいわけです。関係性が記述されていさえすればいい、つまり「位相萌え」のレイヤーです。

そして次に、最初の「位相萌え」のレヴェルを踏まえた上で、図像を用いたキャラによる表現がなされる。これは「図像萌え」のレヴェルですね。

このレヴェルにおいては(のみ?)、斎藤さんのいう

ヘテロな日常的欲望が、アニメ絵の空間においては多形倒錯化する

ということが成立するということです。

であれば、同時に(男の子の)「ふくらはぎ」とか「指」とか「胸」とかいった身体的なパーツが、「萌え」のトリガーとして男女間で共有されているのではないか。

永山さんが述べられた「少年の器官」が日常の私を撃つことは、いまだ殆どありません。それゆえに、ここに描かれた少年の身体についても、どうもそれが萌えのトリガーになり得ているか疑問だったのです。

という疑問はもっともだとしても、です。

ここでたとえば『キャプテン翼』のように、最初から対象となるキャラが図像で表現されているものを例にとったのでは、このレヴェルと最初のレヴェルは同時に発生し、その区分は大変に見えにくい。斎藤さんが女性には「位相萌え」が卓越しているとした理由のひとつには、この区分の見えにくさがあったのではないでしょうか。

フリッパーズの例えを使って、最初の「位相萌え」レヴェルは、現実に存在する「小沢健二」と「小山田圭吾」、そして現実の「フリッパーズ・ギター」との対応が取れる状態と呼応していて、次の「図像萌え」のレヴェルは、もはや「フリッパーズ」というユニットが現実には存在せず、現実の小沢や小山田とは関係なく、若くかわいい「小沢」「小山田」のキャラの図像だけが再生産される状態と呼応しているという具合に図式化することは可能でしょう。

この整理はまだ、あくまでひとつのアイディアであって、現実の「やおい」を俯瞰して、十分な材料に基づいてなされたものではないことをお断りしておきます。その意味では、今後、いろいろとツッコミがされることと思います。


ここで僕が重要だと考えるのは、上記2つのレヴェルの「萌え」が、相互に密接に関連しているが、しかし両者はそれぞれに存在し、しかも区分が可能だということです。確かに、男性主体は関係性を機軸にする「位相萌え」には乏しいかもしれない。しかし、男性の側から女性の「位相萌え/図像萌え」の相互の関係は見て取ることはできるでしょう。つまり「位相萌え」と「図像萌え」の両者を統制するコンテクストを見ることは可能なのではないか。先程も述べたように、これはまだ、ほんの直感にすぎないものです。

しかし、たとえば男性向け「ショタ」が、「やおい漫画で抜いている男がいる」という事実の発見から始まったという見方があるのも事実です(「まんだ林檎」というやおい作家の同人誌にあった記述なのですが、現在、それを紛失してしまったため、原典にあたることが現在ではできません)。

ここで、やや強引に図式化するのならば、女性主体にとっては「位相萌え」に支えられることによって「図像萌え」が十分に展開可能になり、その図像が流通した結果、「位相萌え」に乏しい男性主体であってもそこに参加することが可能になったということはいえるのではないでしょうか。これは、『キャプテン翼』のブレイクの際に、「位相萌え」の明確なあらわれである「受け/攻め」の概念が定着したことにより、男の子キャラの図像を描くメソッドや、その行為自体が飛躍的に多様化し、高度化したことを根拠にいっています。

一方、この見方をとるのならば、いわゆる「ロリコン」同人誌の嚆矢である同人誌「シベール」のメンバーが、やおいも描いていた漫画同人誌に参加しており、「女の子たちがああした男性同士のセックスを描いているのならば、我々男性が男女間でセックスを描いてもいいだろう」という動機から「ロリコン」をはじめたという話にも積極的に意味を見い出すことは可能でしょう。まだ他にも「美少女系」の性表現の表現上のブレイクに「やおい」の変化が先行しているということはあると考えています。具体的な実際については、今後、ひとつひとつ検証していくつもりなのですが。


以上、ひじょうにラフにではありますが、「やおい」と「戦闘美少女」をつなぐ「図像萌え」空間について、整理を試みてみました。

おそらく、男性主体は「位相萌え」というレヴェルをあまり意識せずに「図像萌え」に至るのだが、女性主体は「位相萌え」を経て、あるいはそれと並列に「図像萌え」に至っているのではないか? ということですね。そして、男女を問わず流通するのが「アニメ絵的な図像」であるのではないか、その具現が「ショタ」であろう、ということです。

この図式が、コンテクスト性という観点から、どのように考察されるのかについては、ま だよくわかりません。僕はむしろ、現象の大ざっぱな整理に終始したわけで、そこは斎藤 さん、東さんの意見を待ちたいと思っています。



『戦闘美少女の精神分析』をめぐって

網状言論たち

INDEX

Valid HTML 4.01!