●まずは自己紹介
竹熊です。のっけから白熱した議論が始まる気配ですね。楽しみな反面、お二人の議論について行けるか、早くも心配しております。
まずは簡単な自己紹介から。私は1960年生まれでして、斎藤さんとほぼ同世代に属する者です。高度経済成長期に物心がつき、マンガやアニメを同時に、湯水のように浴びて成長した最初の世代ですね。いわゆる「オタク第一世代」「新人類世代」の、まさにど真ん中にいるわけです。たぶん70年代いっぱいくらいまでは、私と斎藤さんの経験はそんなに違うものではないでしょう。
ただその後の軌跡はかなり違う。斎藤さんは精神医学の道に進まれ、現在はラカン派の臨床医として治療する立場から「オタクなるもの」を論じられている。一方私はといえば、20歳でドロップアウトして以降の20年間、一貫してサブカルチャーの現場、殊にマンガを中心にした領域で仕事をしてきました。どちらかというと「治療される側」に身を置いているわけです。
というのは冗談としても、私も『私とハルマゲドン』(ちくま文庫)などで「オタク論」めいた文章を書いているのですが、それは経験に基づく現場報告に近いものでして、論以前の素材を提供しているというニュアンスが自分では強い。この意味で私の仕事は評論ではなくルポルタージュやジャーナリズムに近いのではないかと考えています。
そうした人間ですので、ここでの議論に私がなんらかの寄与ができうるとすれば、それはやはり現場感覚を基本にしたジャーナリスティックな立場から、というものになると思います。斎藤さんは先の投稿で「舞台裏のことを禁欲する」とか「実例主義にはあまり意味がない」と書かれましたが、私の場合、そこを禁欲してしまうとそもそも参加が不可能になる。素人知識でデリダだラカンだといったところでバカみたいですから、多少の現場的発言はご容赦ください。ただし文献的裏付けは、可能な範囲で極力とるつもりです。
もちろんこの立場に落とし穴があることは、充分承知しております。自分の乏しく一面的な経験を絶対視して論理を無視してしまうこと、つまりは過剰な現場主義に陥る危険性ですね。このことを自戒しつつ、論議に参加していきたいと思いますので、お手柔らかに……。
●『戦闘美少女の精神分析』に対する感想(暫定版)
『戦闘美少女の精神分析』(以下『戦闘美少女』と略す)、非常に楽しく、かつ興味深く拝読しました。これまでオタク領域の論客によるオタク論(浅羽道明・大塚英志・切通理作・岡田斗司夫・私)や社会学者によるそれ(宮台真司・大澤真幸)はありましたが、精神医学の立場からの本格的なオタク論は私の知る限り初めてで、オタクという、ともすれば定義づけようとしたとたんに端からすりぬけてしまう曖昧な存在に、新たな光を投げかける著作だと思いました。
私の営業品目のひとつであるマンガ表現論の見地からも、この本は画期的な示唆に富んでいます。この討論の参加者である伊藤剛氏からすでにお聞きかと思いますが、「クロノス時間」「カイロス時間」という概念を紹介され、マンガとアニメそれぞれの「時間」の取り扱い方について詳細に論じられた部分は目から鱗が落ちる思いがしました。この意味で本書はオタク研究のみならず、今後のマンガ・アニメ研究の分野でも基本文献になるはずです。