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●80年代の「勝ち組」と「負け組」

先の投稿で、僕は「オタク的なもの」には「密教」と「顕教」の二種類があること、そしてそのどちらの立場をとるかによって、「オタクエリート」と「普通のオタク」の二派に別れるのだ、という意味のことを書きました。ここでいう「オタクエリート」とは、80年代にマスコミが名づけた「新人類」そのものなのであり、それ以外に実は「虚構コンテクストに親和性の低い、普通のオタク」が膨大にいるのではないかと。

東さんは僕のこの言葉をまとめて「80年代に早くもオタクエリートと新人類は融合している」と書かれましたが、そうではありません。融合するもなにも両者は最初から「同じ人格類型」なのであって、ただ興味の対象が“たまたま”DCブランドやニューアカであったか、またはアニメや特撮であったかで、表面的な差異が生じたにすぎないのだと思うのです。つまり中森明夫氏が「オタキング」を名乗っても本当はよかったし、岡田斗司夫氏が「トンガリ・キッズ」や「おしゃれ泥棒」を書いていてもよかったんですよ。

ちなみに80年代中盤に「ビックリハウス」の増刊として数冊刊行された「BH」という雑誌がありました。編集長は初期「ビックリハウス」のメインスタッフであった榎本了壱で、創刊号の表紙が山口昌男と戸川純が頬擦りをしているという写真でした。いかにも時代を感じさせますが(笑)。ところでこの雑誌にはマスコット・キャラクターがいまして、それが「ノリ子とサメ男」というんです。つまりこれは「ノリつつ醒め、醒めつつノル」という、「BH」の編集方針を象徴させたキャラクターなんですね(おそらく浅田彰の言説にインスパイアされたものでしょう)。そして、こういう「醒めた熱狂」こそがこれからの若者像なのであり、「BH」はニューアカとポップを等価に愛する「お兄さんになったビックリハウサー」に向けての雑誌なのだと、榎本は編集後記に書くわけです。(「BH」の現物を僕は保存しているのですが、すぐに出てこなかったので、記憶でこのへん書いてます)。

さてここで榎本が主要読者に想定した存在が、当時マスコミをにぎわせていた「新人類」であったことは明白です。ここまで書けばおわかりかと思いますが、斎藤さんが「おたく」の特徴として書かれた「ゲームのように熱狂を演じて見せ合う」や「この『斜に構えた熱狂』にこそ、『虚構コンテクストに親和性の高い』おたくの本質があるだろう」という定義は、そのまま榎本了壱が80年代に書いたマニュフェストに繋がってしまうのです。両者はほとんど同じことを言っていると思うんですよ。ここから考えても「オタク・エリート(オタク密教)」と「80年代型新人類」は、同じ人格類型のバリエーションではないかと僕は思います。

宮台氏が「コミュニケーションの進化史」(『制服少女たちの選択』所収)で行なった分類を借りれば、両者はともに「頭のいいニヒリスト」に相当するのでしょう。最初に「頭のいいニヒリスト」という人格システムの類型があり、これが80年代に「オタク・エリート」と「(マスコミ的な)新人類」に分かれた。80年代は資本の要請(たとえば西武資本)によって「新人類」組が優勢であったが、90年代にはこれが逆転し、オタクエリート(という名の新人類)がマスコミに浮上する。いわばサブカル・エリート間における「勝ち組」と「負け組」の勢力逆転劇があったのだ、というのが僕の見方です(ちなみにここで僕がいう「新人類」は、宮台論文での新人類の定義とは少し違いますが、今は横に措いておきます)。

僕があちこちで「90年代なんて存在しなかった」と言っているのは、こういう意味からです。すくなくともマスコミ的な表層を見る限り、90年代は80年代の延長なのであって、つねにそこでサブカルチャー領域のリーダー・シップをとっていたのは「80年代の新人類」だったのです。いわゆる「オタク・サブカル分割」というのは、僕の記憶では岡田斗司夫氏が96年頃に言い出した言葉ですが、これはきわめて党派的な言説でありまして、いうなれば中核派のボス(オタクエリート)が革マル(新人類=サブカル)を指して「あんなのは革命じゃない」と言っているようなものです。

これがある程度の有効性を発揮しえたのは、それだけ「80年代負け組」の、「80年代勝ち組」に対する嫉妬が深かった、ということでしょう。僕自身もどちらかといえば「負け組」だったので、岡田さんがそう言いたくなる気持ちもわからないではないが、そこにある種の痛ましさを感じます。同時に90年代が「80年代の党派争い」にあけくれたのみで、本当の意味での「世代交代」が起こらなかったことも残念でなりません。


●密教と顕教――誰が「戦闘美少女」を愛するのか?

以上の考察をふまえて、なんとか「戦闘美少女」問題にリンクさせたいと思います。斎藤さんがひとつの概念として名づけられた「戦闘美少女」ですが、これが「オタク的なるもの」を読み解く上できわめて重要な概念であることに異論はありません。僕らはよく「メカと美少女」と言っていましたが、たとえば相原コージが80年代中盤に描いた、そのものズバリ「メカと美少女」という短編マンガがあります。これは当時全盛をきわめていたオタク的なSFが、やたらと半裸の美少女がメカに乗ってドンパチやるものばかりだったので(高千穂遙の『ダーティペア』など)、こうした状況を相原コージがパロディックに諷刺したものです。

ここで僕が問題にしたいのは、「戦闘美少女」にフェティッシュを感じるのは誰か、ということです。当然それはオタクなのですが、オタクにも「密教」と「顕教」があることは既に述べました。

まず原則的にいって「戦闘美少女」に素直に「萌え」るのは、僕から見ると主として「顕教徒=普通のオタク」であるということですね。彼らはけっこう素直に萌える、おそらくそうした映像を見ながらマスターベーションもするのでしょう。これについては斎藤さんの考察はかなり当てはまると思いますし、こうした人間が多いからこそ、「戦闘美少女もの」がひとつの産業にまで発展することが可能だったのだと思います。(この問題については、今後たっぷり討議しましょう)

さて、では一方の「オタク密教」の見地からは「戦闘美少女」や、それに萌える普通のオタクがどう見えるのか? 基本的にそれは「商売」の対象、その言葉が悪ければ「批評」の対象とでもいいますかね。ただこれはけっこう複雑な問題です。というのは、そうしたものにまったくセクシャリティを感じないのだったら、彼らはそれを商売にも批評の対象にもすることもなく、素直に「80年代型新人類」になっていたでしょうから。

この意味では100パーセントの密教徒も、100パーセントの顕教徒も存在しない。ただどちらが個人の内面で優勢であるかで、密教になったり顕教になったりするのでしょう。そして、それはよほど内実を知った上で観察しないと、両者の区別はほとんどつかないと思います。両者とも「戦闘美少女に萌えている」ように見えることは同じわけですから。

ようするに「オタク密教」の立場からすると、「戦闘美少女」に「マジで萌える」のは、実はとっても恥ずかしいことなのです。そこで斎藤さんが書かれたような「斜に構えた熱狂」をする。つまり周囲に対して「俺はわざとやってるんだよ、こんなものに本気で萌えるそこらのダメオタクと一緒にするなよ」というサインを、それとなく送るわけですね。したがってそういう「密教」が優勢な場に、「普通のオタク」が紛れ込むと大変なことになります。場合によっては、彼はかつて中森明夫が「ブリッコ」読者に対してそうしたように、「ダメオタク」と烙印を押され、差別すらされかねません。

●GAINAXに見る「密教」と「顕教」

これの典型的な例を、僕は庵野秀明に見ます。彼はオタク密教の総本山のようなGAINAXという場所において、奇跡的に生き延びた「普通のオタク」だと思うのです。というのは、彼は本気で「戦闘美少女」が好きなので、おそらく周囲の「密教徒」から、内心馬鹿にされていたはずです。昔から庵野氏のあだ名が「アニメ仙人」であり、彼がどれほど世間から隔絶した特殊な生活をしているか、周囲のオタク(密教徒)が、これを面白おかしく語る現場に居合わせたことが何度もあります(というより、僕もその会話に参加して笑っていた。自戒の意味をこめて書いておきます)。

それでも庵野氏は露骨にいじめられることはなかったし、むしろある部分では畏敬の対象でもありました。というのは、彼は「普通のオタク」であっただけではなく、「アニメーターとして天才」だったからですね。周囲は彼の「社会性のなさ」を笑いつつも、庵野氏がいなければ真に「オタク受けするアニメ」が作れないのですから、これをおろそかに扱うことはできないわけですよ。この「密教」と「顕教」の綱引きこそがGAINAXという80年代の縮図のような集団のダイナミズムを形成しているのであり、企業として成功した理由もそこにあるのではないかと思うのです。

ところで庵野氏が「戦闘美少女」について語っている興味深い発言がありますので、以下、引用します。引用元は『アニメ・スタイル』(「美術手帳」増刊/美術出版社/2000年4月15日)に掲載された、アニメ評論家・小黒雄一郎氏との対談です。

小黒 「週刊アスキー」って雑誌があって、表紙が必ずメカと女の子なんですよね。(中略)
庵野 いや〜、もうそれは、アニメファンとかその辺の人のポピュラリティは、メカと美少女ですね。
小黒 行き着く先は、やっぱり「それ」ですか(笑)。
庵野 それが永遠のポピュラリティ。アニメファンの男にとってのポピュラリティは、それ以外には何もないわけでね。とにかくメカと美少女さえ出ていれば、基本はOKですよ。
(中略)
庵野 宮さん(竹熊註:宮崎駿)の時代から何も変わってない。宮さんだって、メカと美少女だよ。(中略)大月(俊倫)さんの分かりやすい企画のあれ……何だっけ、『(機動戦艦)ナデシコ』にしても、その後の『アキハバラ(電脳組)』にしても、もう「メカと美少女さえ出してればOK」っていうのが、丸分かりなんですよ。
小黒 そうですね。
庵野 アニメファンは、そういう分かり易いエサにも食いつくわけです。自分達がどんなに世間からバカにされているのか分かったとしても、これはもう変わらないと思うよ。彼らの求める興味の対象は。
小黒 庵野さん自身、分かっててもやっちゃうわけでしょ?
庵野 自分で。……う〜ん、そうじゃないですかねえ。「これでもやってりゃいいんだ」っていうつもりは、ないんですけどね。それはもう、自分がオタクだからしょうがないわけですよ。自分もそうだから分かるけど、やっぱり、メカと美少女だと思うんですよ。(「庵野秀明のアニメスタイル」/『アニメスタイル』BT2000年4月号増刊、p98)

以上の庵野発言にはいささか注意が必要です。というのは、特に前半部分を読む限りでは、僕のいう「オタク密教」、または斎藤さんの定義される「オタクを逸脱するオタク」そのもののように見えるからです。つまり庵野氏は「メカと美少女」とそれに熱狂するオタクに対して充分“斜に構えて”いる。しかしこれは、GAINAXのような集団で長年揉まれ、また現在監督として多くのスタッフを統率する立場だから、そう言わざるをえないところがあるからだと思います。僕としては、庵野氏の本音は「それでもメカと美少女が好き」という後段にあるんじゃないかと思うんですよ。

本当の「オタク密教」の立場に立てば、心の底から「メカと美少女が好き」とは言えないはずなんです。あるいは好きでもそれを公言することはとてもできない。せいぜい「メカと美少女? 嫌い、とは言い切れませんね。なんせ商売ですから」のような発言になると思うんですね。少なくとも庵野さんに見られる自分のセクシャリティに対する葛藤は、まったくないか、あるいはおくびにも出さない。

では「オタク密教」の立場からは、庵野氏のような「普通のオタク」はどう見えるのか。僕が「密教徒」の典型だと思うGAINAXの山賀博之氏(『王立宇宙軍』監督、現GAINAX社長)の次の発言を見てください。以下は竹熊が『QJ』18号(1998年3月8日)で行なった「山賀博之インタビュー」からの抜粋です。

山賀 入学が決まって、アパートに入ったんですよ。それで大家に挨拶に行った時に、その部屋に庵野がいた。で、開口一番「アニメとか見ますか」みたいなことを僕に言って。(中略)とにかく変な奴だと思ったのね。だっていい歳して、マンガだとか、アニメだとか(笑)。(中略)なんだコイツ、恥ずかしくないのかっていう。
(中略)
山賀 それでバス停でね。庵野はバスを待ちながら、ライターの火をボーッと見てんですよ。遠くから僕は別の友達とそれを見てたんだけど。友達が宇宙人を見るような目つきで「庵野って気持ち悪いよなあ」って。「なんでライター持ってんだよ。あいつタバコ吸わねえんじゃないのか」って。
竹熊 ああ、炎の動きを見てたわけだ。
山賀 口の中で何かブツブツ言いながら、炎をずーっと見てるんですよ。で、僕は……変な人を見ると、寄って行って、話をしたくなる性分なんですね。周囲は庵野から遠ざかって行ったんだけど(笑)(中略)その辺からかな、庵野にハッキリ興味を持ったのは。(中略)
竹熊 山賀さんは全くオタク的な素養がなかったにも関わらず、そういうのにひかれて行ったというのは、やっぱり何かあったんですかね。
山賀 いや素質はあったとは思うんですけど、それまで回りにそういう人もいなかったし。(中略)僕、とにかく変わった人が好きなんですね。普通の学生のような生活はやりたくないと思ったから、変わった人を見て、その能力がすごいなと思ったら、もう願ったりかなったりなんですよ。(中略)あとはそうした人間関係の中での、自分の立脚点を見つけるだけですからね。(『QJ』18号、p160)

以上からも分かる通り、山賀氏はオタクではない。少なくとも、自分でそう名乗ることはしていません。しかし現実の山賀氏はというと、庵野秀明・赤井孝美といった「オタク・クリエイター」らと共にダイコンフィルムやGAINAXを立ち上げ、『王立宇宙軍』(監督)や『トップをねらえ!』(脚本・岡田斗司夫名義だが実際は山賀が執筆)を製作していくわけです。「オタクの聖地」とまで言われるGAINAXのトップに「非オタク」の山賀氏がいるという構図は、面白いと思いませんか。しかも山賀氏は途中から入り込んだのではなくて、設立の当初から組織の中心人物だった。そもそもGAINAX自体、山賀氏に劇場映画を作らせるために友人達が協力してできた組織なわけです。では山賀氏自身のスタンスはどうかというと、たとえば以下のコメントからそれがわかると思います。

竹熊 (前略)そうすると、山賀さんは極めて普通の少年だったわけですよね。僕は、小学時代からマンガ描いたり、壁新聞作ったりってやったんですけど。
山賀 僕も壁新聞好きでしたよ。あと文化祭とか、本当に燃えるんですよ。クラスに池作ろうとか言って、池作っちゃったりとか。(中略)とにかくこれをやろうと決めたら、スタッフ集めて、あんたこれやって、僕はこれやるからって。その時からこれが仕事にならないのかなあって、ずっと思ってた。学校の勉強は一生やらずに、毎日が文化祭みたいなことはないのだろうかと(笑)。
竹熊 まさに押井守の『ビューティフル・ドリーマー』ですね。(中略)
山賀 実際、中学なんかの時には、終わらない文化祭を待ち望んでたんですけど。現実にあると思ってたんですよね。(中略)本当に夢として思ってるんじゃなくて、あれとかこれを組み合わせて行けば、どこかに行けるはずだと。(同、p158)

(竹熊註:その後山賀氏は『マクロス』のスタッフになるが、それを回顧して)
山賀 結局、僕らにとって『マクロス』というのは、『イデオン』に対するアンチテーゼだったんですね。
竹熊 ああいう深刻な物に対する?
山賀 なんて言うかな。親に対する反抗……みたいな気持ちに近いかもしれませんね。たとえば本を読みなさいと親が言うことで、本は嫌いだと僕は思っちゃったんですけど。そういう親が言うところの文芸的な世界? それが『イデオン』にはあるんですよ。でも僕らはもっと違う感覚で生きてるはずで、それを皮膚感覚的に表現できるのではないかと。たとえばあの当時で言ったら田中康夫の『なんとなくクリスタル』とか。俵万智はまだ出て来てなかったけど。まあ今にして思えば、それも一つの文芸的世界なんですけどね。(同、p166)

結局、このふたつの発言からも推し量れるように、山賀氏は典型的な「80年代型の新人類」だということです。そして僕は、過去のつきあいから岡田斗司夫氏にもそういう印象を受けています(これについては、岡田氏の活字になった発言からそれを指摘することができます。必要とあれば引用しますが)。つまり山賀氏や岡田氏の場合は、戯れる対象がたまたまアニメであったのではないか。それを規定したものは、偶然、庵野秀明のような「本物のオタク」との出会いがあったからだと思うんですね。もしそうでなかったら、それがゴダールであってもニューアカであってもよかったのではないでしょうか。こうしたことはまさに、竹熊自身にもいえることですが。


●とりあえずのまとめ。それでも「戦闘美少女」を語る意義はある!

非常に長くなってしまいましたので、そろそろ終わりにしたいと思います。ようするに僕の二回に渡る長文の目的は、「密教」と「顕教」がないまぜになっている(と僕には思える)斎藤さんのオタク定義の混乱を、僕なりに整理してみようとしたものです。しかし最後に書きたいことは、それでも「普通のオタク」は存在するし、その中には庵野秀明のような「戦闘美少女」にフェティシズムを感じ、自分のセクシャリティと格闘するすぐれた作家も存在するということです。

つまり斎藤さんの本筋の興味は決して間違ってはいない。ここから我々がなすべき論議は、いわゆる「普通のオタク」について語ること、そして普通のオタクが戦闘美少女にフェティッシュを感じることの意味について語ることではないでしょうか。その意味でも斎藤さんのオタク定義の混乱は僕には残念でしたし、「地ならし」の意味でも、あえてそこを指摘せざるをえなかったのです。



『戦闘美少女の精神分析』をめぐって

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