永山薫です。
おくればせながら参戦します。
実は燃え上がりすぎて3日がかりで大長文を書いてしまったんですが、内容的にはほとんど興奮しまくって書き殴った自叙伝&オタク前史になっちゃったんで、頭を冷やしつつ推敲しておりました。…と以上は言い訳。
以下が発言です。議論の流れとは多少ズレているかもしれませんが、このあたりから語り起こさないと、居心地が悪いのです。徐々に議論の本筋に近づけて行きますれば、暫くは御海容をもってご笑覧のほどを。まずは、永山の発言その1です。
■オタク前史「斜に構えた熱狂の根っ子」
オタク、おたく、オタク的なるものを考えるを上で、個人的にどうしても等閑視できないのが世代観です。俺も海千山千の狸オヤジですから、世代論で割り切れる程、世の中甘くないのは百も承知です。しかし、世界を見晴らすための仮の座標軸くらいの意味はあると考えます。
まず団塊の世代というものがあります。俺の認識ではこれはほぼ全共闘世代と重なり、大雑把に云って1940年代生まれ(30年代末、50年代初頭を含む)の世代です。オタク世代に対比させてオヤジ世代と云ってもいいかもしれない。
これが数的にデカイ。巨大な上に現時点では実質的にこの世代の発言力が一番大きいわけです。直下の50年代生まれからすればこれがかなり鬱陶しい。大きな蓋がかぶさってるような感覚がある。奇しくも俺を除いて、参加者の全員が60年代以降生まれです。そのへんの感覚はどうなのだろうか?
なんでこんなことを言い出すのかといえば、オタクの淵源はなにか? という疑問があるからです。50年代(54年)生まれの俺から見れば、オタクというのは後から来た世代に見えますが、60年代生まれである竹熊さん、斎藤さんにとっては同世代、で、67年生まれの伊藤さん、71年生まれの東さんにしてみれば世代的に上にも下にもオタクがいる。
オタク的なるものに対峙した時にこれがどう作用するのか? そこには何かしらの差異が生じるのではないか? それが決定的な違いになるのか、微妙な差になるのかはこれからの議論であきらかになるのかもしれません。
例えば竹熊さんは『私とハルマゲドン』の中で55年生まれの麻原彰晃を指して「世代的にはオタク世代のほぼ上限に位置するといっていい」と述べています。確かにその通りではあるけれど、麻原と同じく「ほぼ上限」とされた俺は「ちょっと待って欲しい」と思んですね。無論、どこで世代を切ったって境界線上の世代からは文句が出るわけですし、厳密な線引きは不可能です。ただ、オヤジ世代とオタク世代の間にひろがる世代間グラデーションのトワイライトゾーンにも、もうちょっと注目してみたい。
何故ならば、そこがプレ・オタクを自称する俺の立ち位置であるからだし、そこから見えるものを見え方、捉え方を含めて語って行くしかないからです。
このオタクであってオタクでなく、オヤジであってオヤジでないトワイライトゾーン世代は広く捉えれば50年代生まれということになるのですが、もう少し絞り込んでみたい。その核になるのは1970年です。この、安保と大阪万博の年に中高生、つまり思春期真っ直中であった世代を俺は仮に「間の世代」と呼びます。早生まれを考えに入れなければ52年〜57年生まれの世代です。名前を挙げれば小林よしのり(53年生まれ)、山崎浩一、高杉弾(54年生まれ)、秋元康(56年生まれ)、浅田彰(57年生まれ)ということになります。
何故70年を特別視するかと云えば、その年こそが、戦後の若者の記念すべき敗北の年だったからに他なりません。俺自身の実感を書いてしまえば、60年安保から地続きだった60年代末の「政治の季節」に燃え上がり、ワクワクドキドキしながら70年に当時10大紛争高と呼ばれた大阪府立枚方高校に入学してみれば、そこにはすでに戦いの余塵しかないこと思い知らされ、呆然としてしまったということです。俺は「政治の季節」の「政治」の部分は実は「祭」だったと思っています。全国規模の「終わりなき学園祭」を期待して進学したら、そこにはファイアストームの燃えかすが燻っているばかりで、火傷をするほどのパトスはすでに喪われていた。
「戦後日本の経済的成功と、七〇年代以降の『イデオロギーの時代の終焉』は、世界に例を見ないほど大量の屈折したインテリを出現させた」(竹熊健太郎・前掲書)
異議なーし! ですね。ただ、政治の季節の主役だった全共闘世代の屈折と、それにタッチの差で間に合わなかった「間の世代」とでは屈折のありようが違います。少なくとも全共闘世代は祭を謳歌できたのに対し、俺らはお祭り広場に駆けつけたとたん、いきなり祭の終息を告げられ、のっぺらぼうな日常に投げ出されたのです。と書くと被害者意識が強すぎるかもしれませんが、「あんたらはいいよな」と恨み言の一つも云いたくなる。全共闘世代を一括りにしてしまうことは避けるべきでしょう。しかし、あれほどカッコイイ兄貴姉貴だった人達の後の姿はかなりカッチョワルイものでした。今にして思えば、それぞれに意味があり、とうてい一概には語り得ないのですが、当時の俺としてはそれまでの偶像がガラガラと崩れて行ったわけですね。とは云いながらも実際のところ俺は高校時代、ささやかな闘争に参加していました。もう何も信じていなかったし、理想に燃えてもいなかった。ただ、日常が退屈だった。反抗的なポーズでもとっていなければ耐えられなかった。終わりなき学園祭が続いているフリをして、アナーキストを自称し、ヘルメットをかぶってビラをまき、熱く語っても、それを冷静に、シニカルに見ている自分がいる。
斎藤さんのおっしゃる「おたく」の「斜に構えた熱狂」、竹熊さんのおっしゃる新人類の「醒めた熱狂」のルーツはこのあたりにあるのではないか? マジに熱狂するのは現状認識の甘いバカ。完全に醒めて見せるのもオリコウ過ぎて不粋なバカ。カッコイイのは負け戦を自覚し、自嘲しながら、未だパトスが残っている身振りを続けること。その意識は全共闘世代にもあったのかもしれませんが、俺は「間の世代」でピークを迎えたと考えます。
なんでこんなことを書き殴っているかといえば、この70年に「大屈折」してしまった「間の世代」の強烈なルサンチマチン、ニヒリズム、シニシズムが、後のオタク世代に大きな影響を与えたのではないかと考えているからです。俺たちが、オタクを準備したのかもしれません。