初出:『毎日新聞』2002年4月11日夕刊
私たちはセキュリティ社会に生きている。9・11以降の安全保障から新宿歌舞伎町の監視カメラまで、あるいはコンピュータ・ウィルスの予防から触法精神障害者やストーカーの管理まで、私たちの社会は、あらゆる場面で、「いかにして危機を回避するか」という課題を中心に秩序を組み上げている。そこでキーワードとして浮上しているのが「セキュリティ(安全保障)」だ。
セキュリティ重視の傾向は冷戦後の先進国で共通しているが、1990年代後半に社会環境の急激な悪化を経験した日本では、いまとりわけ極端に現れている。震災にオウム、少年犯罪、絶えず囁かれる経済危機の影に疲れ果てたこの国の市民は、少しでも危険なものや不審なものがあると、すぐに耐えられなくなってしまうからだ。社会全体に余裕がなくなっているのである。
森達也監督の新作『A2』は、そのような日本社会の現状を鋭く抉りだし、深い疑問を投げかけるすぐれたドキュメンタリーである。森のカメラが追うのは、前作の『A』に引き続き、世間から孤絶し、マスコミの非難を受けながらも信仰と組織を建て直そうとするオウム真理教(現・アレフ)の出家信者たち。撮影が行われた1999年から2000年にかけては、各地で地域住民のオウム排斥運動が激化し、転入する信者の住民票を受理しない自治体が相次ぐなど、施設を追われた信者たちが漂流を始めた時期にあたる。東京都足立区、群馬県藤岡市、長野県木曽福島町、千葉県松戸市……、各地で続々と起きるトラブルを追いかけながら、森は、住民と信者の双方に起きる煩悶や葛藤を丁寧にビデオに収めていく。
まず驚くのは、地域住民がオウム信者に向ける恐怖心の深さである。住民集会でこぶしを振り上げる初老の女性、女性信者の生活用品を検査する中年男性、施設撤退を伝えに来た教団幹部を吊し上げる町役場の幹部たち……、その顔に浮かんでいるのは、なり振り構わぬナマの危機意識だ。偽善や建前は一切見られない。
率直に言ってその姿は醜い。カメラはその醜さを容赦なく捉えている。しかし、その真剣さにはだれもがたじろがざるをえないだろう。地域の安全を第一に考えるのならば、たとえ信者自身が犯罪者でなかったとしても、カルト教団の再生などに付き合っている余裕はない。この切迫感は、ピッキングに怯えてドアの鍵を替え、ホームレスや高校生が乗る車両でこっそりと席を立ち、ペイオフ解禁を迎え定期預金を解約する日常の延長線上にある。私たちはいま、安全と寛容ならば確実に安全のほうを選ぶ、そういう社会に生き始めているのだ。『A2』はそんな私たちを映し出す鏡である。
確かに森は、そのようなセキュリティ意識が綻びる瞬間も幾度か捉えている。とりわけ印象的なのは、藤岡市の施設で生じた地域住民と信者の相互交流だ。監視する側と監視される側が、一緒に記念写真を撮影し、監視小屋を談笑しながら解体していく。マスコミでほとんど報道されなかったらしいその場面には、恐怖心でガチガチになった地域社会の緊張が、緩やかに、しかし確実に解けていく可能性がはっきりと示されている。その姿はあまりに感動的なので、観客は未来に希望をもってしまうかもしれない。とはいえ、実はその施設ですら、地域住民とオウムの平和共存が達成されたわけではない。信者は結局は撤退することになったのだ。
森はこの作品のテーマとして、「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」というフレーズを挙げた。しかし実際に『A2』が映し出すのは、その逆の方向に向かう現実だ。社会システムの安定性を信じられず、家族や隣人ですらいつ犯罪者に変わるかもしれない不透明な現実のなかで、私たちはいま、過剰なセキュリティにしがみつくことでしか安心感を得られなくなっている。その現状を今後いかにして「豊かさ」や「優しさ」へ開いていくのか。私たちひとりひとりの叡智が試されている。
2002.5.9公開