初出:共同通信3月14日配信
『暗号化』(スティーブン・レビー著、紀伊国屋書店)について
1990年代の情報技術革命は私たちの生活を大きく変えた。しかしその行く末は不透明であり、未来像も二つに分かれている。一方には、情報技術革命が可能にしたコミュニケーションの拡大を歓迎する楽観論がある。他方には、同じ条件が犯罪組織やテロリストの跋扈を許し、社会の不安定化を招くと難じる悲観論がある。
このどちらの未来が現実になるのか、それはまだ分からない。しかし、そこで鍵となるのが「自由」と「セキュリティ」のバランスであることは明らかだ。インターネットや携帯電話の出現は各個人にかつてない自由を与えた。それを放置すれば無秩序に陥るが、かといって治安の維持を重視すれば電子化された監視国家の誕生にも繋がる。社会秩序を適正レベルに保ったまま、新しいメディアの自由をどこまで残せるのか、未来社会のデザインはそこに掛かっている。
そしてそこで重要になってくるのが、まさに本書の主題となった暗号である。1970年代に生まれた「公開鍵暗号」の技術は、インターネットが普及した現在、個人の自由やプライバシーを犯罪者から守りつつ、しかも国家による一極集中型の監視も必要としない新しい社会デザインの基礎として注目を浴びている。本書はその技術がこの30年間に辿ってきた紆余曲折を、数多くの関係者への取材を通して浮かび上がらせた労作である。
著者は1984年の『ハッカーズ』以来、コンピュータ関係のノンフィクションでは定評のある人物。この一冊を読めば、暗号について知ることがいまなぜ重要なのか、基本的な理解はおおむね得られる。インターネット、というと日本では出会い系サイトのような風俗面ばかりが注目されるが、この新しいメディアが社会の構造をどのように変質させるのか、多少とも真剣に考えるのであれば、技術面の基礎知識は外せない。情報社会の未来に関心をもつすべての読者に、ぜひ読んでもらいたい。
2002.5.10公開