ゲームの名のもとに


初出:『InterCommunication』no.40、NTT出版、2002年


昨年の秋、東京・初台のICCから風変わりな企画展の案内が迷い込んだ。タイトルは『信用ゲーム』。企画・監修を努めるのはメディアプロデューサーの桝山寛。桝山は、独創的なゲームソフト『巨人のドシン』のプロデュースや、非営利団体「テレビゲーム・ミュージアム」の活動、2000年に話題を呼んだ『BIT GENERATION』展のキュレーションなどで知られている。案内状の発送とほぼ同時に出版された『テレビゲーム文化論』(講談社現代新書)では、テレビゲームの現状や展望について、歴史面と技術面を押さえたうえでコンパクトな見取図を描き出してみせていた。その彼が、ふたたび「ゲーム」の名を冠した展覧会を企画し、しかも今度はテーマが「おかね」だと言う。好奇心を刺激された筆者は、一般公開を待たず、早速内覧会を覗いてみることにした。


展覧会場でまず目を引いたのは、階段を上りきった正面奥と右手のホールに並べられたモニタの列である。そこに映し出されているのは、企画展のための特別チームが制作したコンピュータ・ゲーム「信用ゲームα」と「信用ゲームβ」。前者は株式のデイトレーディングのシミュレーション・ゲーム、後者は資産運用のシミュレーション・ゲームだ。カタログの桝山の言葉によれば、1971年はテレビゲームとマネーゲームという二つのゲームの開始で記憶される。言い換えれば、それ以降の世界では、財の運用はテレビゲームの親戚になってしまったということだ。本展のテーマとなる「おかね」とは、実体ある金ではなく、あくまでもそのような「ゲーム化したおかね」である。そこでは実体のない信用が突然「おかね」に化け、虚構のゲームが現実の貧富を作り出してしまう。二つのコンピュータ・ゲームは、そんな現実を寓意化するために作られている。

同じく注目が集まっていたのは、etoyのブースだ。etoyはヨーロッパで活躍するアーティスト・グループであり、同時にスイスで登記された会社法人でもあるという特異な存在である。彼らの作品はすべて商法上の株になっており、株主総会における議決権と利益配当が伴っている。たとえばTシャツを買うと、5株分の議決権と配当が手に入る。そしてもちろん、株である以上、作品の値段は相場に応じて上下する。したがって、相場をよく読んで高額の作品=株を買い占めれば、etoyの「経営権」を手に入れるのも不可能ではない。

本展に招くアーティストとして、確かにこれほど適切なグループはなかっただろう。「私たちが提供するのは文化的価値だ」と言ってマネーを集め、逆にそのマネーの動きを「文化的価値」へと捏造してしまう彼らの戦略は、世紀末の世界を席巻したドットコム企業を思わせる。 そしてその活動は、また現在の美術市場への痛烈な批判でもある。デュシャン以後の現代美術が芸術の名をめぐる言語ゲームと化していると指摘したのはティエリー・ド・デューヴ(『芸術の名のもとに』)だが、ポップ・アート以降の現代美術は、むしろ、芸術の名を口実に繰り広げられるマネーゲームになってしまったと言うべきかもしれない。現代美術はいまや投機の対象でしかなく、批評や研究はその口実として利用されている。美術作品とマネーゲームを文字どおり一体化させるetoyの試みは、そんな現状を笑い飛ばしている。美や真や善について、あるいは信用や価値や理念といった見えないものについて語ることは、いまや、世界の根底を動かす「ゲーム」を覆い隠す役割しか果たせないのだ。

以上のような企画意図の中心にある作品とは別に、桝山の与えたテーマから多少逸脱しつつ、しかし魅力的な作品が出品されていたことも、また本展の特徴である。クワクボリョウタの「PLX」、西村佳哲の「パワー・オブ・エン」、真鍋奈見江の「着せ替えられる桃子」などが興味深い問題を提起していたように思うが、ここでは二つだけ詳しく取り上げておきたい。

まずは村山華子の「信用ゲーム1:10000」が筆者の関心を引いた。展示そのものは単純で、一方の壁にコイン投入用の箱を載せた台秤が並べられ、他方の壁に「作者からの愛のプレゼント」が入っているとされる多数の封筒が張られているというもの。入場者は、前者の箱に適当な額のコインを入れ、後者の壁から適当な封筒をひとつ持ち帰ることが求められる。実に簡単な仕掛けなのだが、これが意外に入場者を悩ませる。ここで試されるのは、「現金と交換するくらいなのだから、それなりの価値のあるものが入っているのだろう」という常識が通じるのか否か、つまり作者の「愛のプレゼント」なる言葉を信じるか否かなのだ。ちなみに筆者は500円硬貨を入れ、みごとに騙された。

もうひとつ関心を引かれたのは、あいだだいやの「もし100万円を素材としたアート作品があったなら、果たしてそれはどれくらいの価値があるだろうか?」である。作品そのものは1万円札100枚を封印した透明樹脂の合板だが、プロジェクトの中心は、むしろ作品をインターネット・オークションに出品することにある。会期開始時にはオークションは終わっており、入場者はその入札過程を作品横のモニタで見ることができる。それによると落札価格は33万4000円。原材料費の3分の1しか回収できなかったことになるが、ここで重要なのは、作家がネットという場を選んだことだ。ネットユーザーの多くは、現代美術に関心のある人々ではない。したがって出品告知のページには、誹謗中傷を含め、さまざまな反応が集まることになる。とりわけ興味深いのは、そこで、作者が美術品としての「価値」を「保証」しろ、あるいは「説明」しろ、という要請が幾度となく繰り返されることだ。etoyとは別の方向で、この作品は、美術と信用が交差する地点に鋭く接近している。現代美術を匿名の大衆にこのように無防備に曝すことは、ネットでなければ難しかっただろう。


冒頭に記したように、筆者は本展の内覧会を覗いた。最後にその独特の雰囲気を伝えておきたい。当日の会場には、この種の展覧会では珍しいサブカル系の装いの学生や、クリエイター風(?)の怪しげな人物が妙に目についた。関係者に配られるカタログは金ピカの表紙で絵本風だし、蛍光オレンジのパーカーを着てetoyのメンバーたちが歩き回っている。全体がどこか浮き足だっていて、その猥雑な空気は、本展の本質を何よりも雄弁に物語っていたように思う。『信用ゲーム』展は、決してゲームにインスパイアされて企画された「メディア・アート」の展覧会などではなく、まずゲームから始まり、ゲームを入口に世界を理解しようとしてゲーマーが企画した展覧会なのだ。同じゲームをテーマにしていても、その違いは歴然としている。

実際にその違いは、何よりも「楽しさ」に表れている。私はこの展評を書くためにもういちど会場に足を運んだが、各作品に仕掛けられたゲームをひとつひとつクリアしていくだけで、2時間以上があっというまに経ってしまった。それだけの時間を楽しくつぶせるメディア・アートの展覧会がどれほどあるものか、筆者ははなはだ疑問に思う。

2002.5.9公開



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