堤清二の子どもたち


初出:『波』2002年5月号、新潮社

『深夜の孤宴』(辻井喬著、新潮社)についての書評


ここで辻井喬=堤清二氏の随筆集について文章を書くことには独特の感慨がある。なぜなら僕は、いまから10年以上前、まさに、その彼が率いたセゾングループの文化戦略の直中で10代を過ごした世代にあたるからだ。

実際、その「戦略」は、当時の僕にとってあまりにも身近な存在だった。僕が通った中高一貫校は東京の渋谷の近くにあった。そのころのファッションはDCブランド一色だったのだが、そのなかでパルコや西武百貨店は単純に憧れの店だった。とりわけ西武百貨店は敷居が高く、高校生の財布ではショッピングなどバーゲンのときしか不可能なので、普段入店するのは、平日の午後、学校の授業をサボったか放課後に予備校に行くまでの時間を持て余してしまったかして、休憩所のベンチで暇を潰すために入るときぐらいだったように思う。当時の渋谷西武B館の階段脇には大きなガラス窓に面して喫煙者用のベンチがあり、僕は毎週のようにそこに座っては、向かい合ったA館のガラス窓に反射する自分の姿と、その向こうに透けて見える階段を上下する女性客をぼうっと眺めていたものだ。それは、セゾン文化の「戦略」を意識するよりもはるかに前、いまだセゾン劇場にもセゾン美術館にも足を踏み入れたことがなく、セゾンカードすらもっていなかった、16歳のころの僕の精一杯の背伸びである。辻井喬=堤清二という名前は、僕にとって、そのような記憶と結びついている。

そして、そのような出自と認識をもつ僕にとって、本書『深夜の孤宴』に収められた文章の多くは、あまりにも暗く、あまりにも悲観的なように思われたことを告白しなければならない。たとえば辻井氏は、70年代の初頭に「輝ける昨日は消え、消費社会が姿を現わして来た」と記す(p.30)。そしてその延長で、「私の意識のなかにある現代は、いよいよ行き詰まった社会である」と書かれる(p.171)。さらには、その批判の刃は経営者としての自分自身にも向けられ、「消費社会とそれに関する華麗な言説は進歩でも文化でもなく、本当の無明の深さは実生活のなかにこそあり、君らのT努力Uはただ人間の生を無限に軽く平板にしていくだけだ」という認識まで語られる(p.181)。消費社会の隆盛はこの国に何ももたらさなかった、という絶望が、80以上もの数のエッセイのあちらこちらに顔を出しながら、この随筆集の基調音をなしている。

その絶望は、確かに、殺伐とした90年代を通り過ぎたこの国の多くの人々に共通するものだろう。僕自身にしても、未来の日本社会が明るいとはほとんど信じていない。にもかかわらず、その暗さが辻井氏の筆を通して記されるとき、僕はどうしても、何か裏切られたような、寂しい気持ちを感じざるをえないのだ。

むろんこの随筆集には、文学や詩や友人たちの思い出をめぐる、珠玉のような文章がいくつも収められている。したがって、ここで、そのすべてを無視し、時代分析の真似ごとしか書けない僕は、批評家失格なのかもしれない。しかしそもそも僕がいま批評家であるのは、あの80年代、セゾングループによって文化的な欲望を植え付けられてしまったからなのだ。文章を読み、映画を観、音楽を聴く人間としての僕の欲望は、辻井氏の詩に接するよりもはるか前に、堤氏の文化戦略によって骨の髄まで整えられてしまっている。言い換えれば、文学に接するよりも前に、消費社会の論理に侵されている。

そしてそれは何も悲惨なことではない。僕と同世代の、あるいはさらに若い世代の作家たちは、多くがその環境のなかから生まれ出てきた。そこでは文学や芸術と消費社会はもはや対立できない。直接にセゾンを意識していようがなかろうが、その環境にいるかぎり、80年代以降に活動を始めた作家や批評家やアーティストたちは、みな堤氏の子どもたちなのである。

僕はセゾングループが生み出した虚構にまみれて育った。そのすべてを肯定するつもりはないし、率直に言って、90年代のあいだ、セゾン文化の残像には少なからず苦しめられたという思いがある。だからそこには憎しみもある。にもかかわらず、この随筆集を読み進めるなかで、僕は幾度となく、辻井氏に抗して堤氏を擁護しなければ、という唐突な衝動を覚えざるをえなかった。むろん僕には、そのような能力も資格もない。しかし、何かそれが、16歳のころの自分に対する最低限の義務であるように思われたのである。

2002.8.31公開




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